現地5日、米野球殿堂は元選手などで構成される選考委員会によって選ばれた殿堂入りメンバー、6人を発表した。

殿堂入りメンバーは通常、全米野球記者協会の投票で選ばれるが、これとは別に過去に漏れた選手や指導者、審判員、経営者らを対象として時代別に候補者を分け、功績を精査し選考委員会の投票でさらなるメンバーを選ぶ制度を設けている。今回は1950年以前と、50~69年の2つの時代を対象とした選考が実施された。

ドジャースなどで通算370本塁打を放ち、69年にメッツの監督としてワールドシリーズを制覇したギル・ホッジス氏らが選ばれている。その中でも注目されるのがバック・オニール氏、バド・ファウラー氏、ミニー・ミニーソ氏の3人だ。いずれもニグロリーグへの貢献をたたえる新ルールによって殿堂入りのチャンスを得たのである。昨年12月MLBは「ゲームの歴史における長年の見落としを修正する」とし、ニグロリーグをメジャーリーグとして再分類したことで、約3400人の選手の統計がメジャーリーグの記録に追加されていた。

オニール氏は一塁手としてニグロリーグで2度オールスターに選ばれるなど10年間にわたり活躍、引退後カブスでMLB初の黒人コーチとなった。またスカウトとしてもキャリアを積んでいる。その後も黒人選手の擁護に努めるなど多大な功績を残している。既に殿堂内に等身大の銅像が設置されているが、2006年に殿堂入り候補者を検討するための「ニグロリーグ特別委員会」が開催された際には選出されなかった。その2カ月後、94歳で死去している。

1858年生まれのファウラー氏は黒人初のプロ野球選手として知られ、投手兼二塁手として活躍した。

ミニーソ氏はニグロリーグで2度のオールスターに出場した後、1951年にホワイトソックス初の黒人選手となった。ハバナで生まれで「キューバの彗星(すいせい)」と呼ばれ、ホワイトソックスとインディアンスで7回のオールスターに出場している。左翼手としてゴールドグラブ賞を3回獲得した。1964年に1度引退したものの、1976年に50歳でホワイトソックスに復帰、8打数1安打を記録。1980年にも2度打席に立っている。実に50年間プロ選手を務めたのだ。

3人とも既に故人だが、こうした業績に再び日が当たることは喜ばしいことである。