パイレーツなどで主に遊撃手として活躍したディック・グロート氏が死去したことが分かった。家族によると、脳卒中の合併症により病院で亡くなったという。92歳だった。

デューク大学時代にバスケと野球の両方で全米代表に選出されるなど、アスリートとしてマルチな才能を披露していたグロート氏。1952年にパイレーツ入りを果たすと、NBAのフォートウェイン・ピストンズ(現デトロイト・ピストンズ)からドラフトで指名を受けた。

MLBとNBAの両方で同時にプロとしてプレーしたのはグロート氏を含め13人。同氏は2014年のインタビューで「野球は私にとって常に仕事だった。バスケは私が愛したスポーツだったが、生計を立てられると思ったのは野球の方だった」と語っている。1955年からは野球一本で生きていくことに切り替え、60年にはワールドシリーズ制覇に貢献。打率3割2分5厘を挙げて首位打者となり、ナ・リーグMVPにも輝いた。

グロート氏はその後、カージナルス、フィリーズ、ジャイアンツでプレーし、カージナルスでも1964年にワールドシリーズ制覇を経験した。引退後もパイレーツの地元ピッツバーグでスポーツに関わる仕事に従事しており、パイレーツのボブ・ナッティング会長は「ピッツバーグファミリーとピッツバーグコミュニティーにおいて最高に愛された人物を失い、我々は悲しみに深く沈んでいる」と述べた。(AP)