江川超えの奪三振ショーで新監督を喜ばせた。巨人ドラフト1位の立命大・桜井俊貴投手(22)が、東北福祉大戦に先発。スプリットとチェンジアップを決め球に、大会タイ記録となる毎回の18三振を奪い、3安打完封勝利を飾った。巨人OBの江川卓氏の記録を1つ上回る快投で、急きょ視察に訪れた高橋由伸監督(40)を喜ばせた。次戦は15日の亜大戦。日本一の称号を手土産に巨人のエースを目指す。

 マウンドでは崩さなかった表情が、一気に緩んだ。桜井は18奪三振で完封勝利を飾った直後、球団行事で一時帰京していた巨人高橋監督が7回から観戦していたと、後藤監督から聞いた。「知らなかったです。宮崎キャンプに行かれていると思っていたので…」と苦笑いし、顔を赤くした。「抑えることだけを考えて投げていました」。来季指揮官の熱視線が気にならないほど、打者に集中していた。

 色気を出さず、いつもと同じ心掛けで挑んだ。「とにかく低めに投げる」。この日最速の144キロ直球を軸に変化球をちりばめた。1回1死から、いきなり5者連続三振。5回の無死一、三塁のピンチでは「ゴロを打たせようと思って低めに投げた」と言いながら、3者連続三振。9回の1個を除き、すべて空振りで三振。初めての神宮でも「冷静にマウンドに立つようにしている」と、いつもの自分を貫いた。

 今春に覚えたスプリットが効いた。球数を最小限に投げ切るのが理想。そのためにも「もっと変化球で打ち取れれば」と新球習得に着手した。自分の感覚を重視し、投げ込むことで指になじむ方法を探った。加えて、オリックス金子を参考に、シュート気味のものと球速が緩いものの2種類のチェンジアップにも磨きを掛けた。驚くような剛速球はない。140キロ台の直球とミックスさせ、タイミングを絶妙に外すスタイルを築いた。

 「18奪三振は終わってから知りました。偉大な投手(江川氏の17個)を超えたことは素直にうれしい。でも、あまり三振にこだわりはないんです」。巨人関係者が見守る前でも力まず投げ込んだ109球の奪三振ショーは丁寧に投げ続けた副産物だった。

 高橋監督との対面は、かなわなかった。それでも「日本一が目標。残り試合もこんな投球ができれば」と今大会に集中した。日本一の称号を手に、由伸ジャイアンツの門をくぐるつもりだ。【浜本卓也】

 ◆大学球界と1試合最多奪三振 明治神宮大会では97年矢野英司(法大3年、元楽天)が創価大戦でマークした18個が最多。矢野は毎回奪三振で無四死球完封だった。全日本大学選手権では05年大隣憲司(近大、現ソフトバンク)11年藤岡貴裕(東洋大、現ロッテ)の19個が最多で、12年には則本昂大(三重中京大、現楽天)が大体大戦で延長参考記録ながら10回で20個(9回まで18個)を奪っている。

<桜井俊貴(さくらい・としき)アラカルト>

 ◆生まれ 1993年(平5)10月21日、兵庫県神戸市生まれ。

 ◆球歴 北須磨高では1年秋から背番号11でベンチ入りし、2年秋に背番号1。2年夏に兵庫大会16強。大学では1年秋からベンチ入りしリーグ通算28勝8敗。

 ◆運命の関大戦 10月14日の関大戦で1年からライバルだった相手エース石田光宏(4年=近江)と投げ合い、延長14回7安打13奪三振1失点完投勝利。自己最速を1キロ更新する150キロをマークし、206球を投げ抜いたタフネスぶりで巨人1位指名を射止めた。

 ◆背番号「21」 10月27日の指名あいさつで巨人から提示された。「21」は、かつて藤田元司、堀内恒夫らが背負った伝統ある番号。両投手は後に「18」へとステップアップしエースの座を確立した。

 ◆サイズ 181センチ、82キロ。右投げ右打ち。

 ◆卒論 難関の立命大法学部に在籍し、卒論のテーマは鎌倉時代に武士のために制定された法令「御成敗式目」を選択。