プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月11日付紙面を振り返ります。2001年の3面(東京版)は、野球のW杯予選リーグ、巨人高橋由伸が3安打の活躍で強敵キューバを下したことを伝えています。
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<野球:W杯>◇5日目◇10日◇天母ほか◇予選リーグ
日本が強敵キューバを5-3で倒し、4連勝を飾った。打のヒーローは巨人高橋由伸外野手(26)だ。1回に二塁打を放ち押し出し四球での先制点を演出。5回には2点目をたたき出す中前打を放つなど3安打の活躍で4番の役目を果たした。日本が五輪など大きな国際大会でキューバを倒したのは4年ぶり3度目。W杯では12度目の対戦で初勝利。キューバはこの大会負け知らずの46連勝中だったが初黒星を喫した。
▽予選リーグB組
日本(4勝)
100030100|5
000001110|3
キューバ(3勝1敗)
【キ】イバル、オデリン-メリノ
(本)マシアス(1)
最強キューバを倒して歴史を変える。日本の4番・高橋由の思いがバットに乗り移った。1回表、2死一塁。内角の変化球を完ぺきにとらえて右翼線に運んだ。チーム初安打となる二塁打でキューバ先発イバルの動揺を誘い、阿部の先制の押し出し四球の呼び水となった。「1打席目でヒットが出てホッとして、その後は勢いで打てました」。
5回には1死一、二塁からこの日3本目の安打を放って、2点目をたたき出し、先発イバルをマウンドから下ろした。試合前はベンチで長嶋前監督に声をかけられ「調子は悪いですよ」と、話したが、大舞台での勝負強さは群を抜く。W杯では15年間負けなしの常勝キューバの連勝を46で止めた。
日本にとって常にキューバは大きな壁として立ちはだかってきた。W杯で11戦全敗、五輪を含めると16試合、この2つの大会でキューバから勝ち星を挙げたことがなかった。しかし、後藤監督は試合前に力強く言い切った。「歴史的な日にしたい。うちは守るものは何もない。攻めるだけ」。この言葉は慶大時代の教え子、高橋由に対する信頼の表れでもあった。
高橋由にはキューバに対する特別な苦手意識はない。97年、慶大4年時のインターコンチ杯(スペイン)決勝では3ランを含む5打点を挙げる活躍を見せ、キューバの公式戦連勝を151で止め優勝している。「あの時は何も考えずにやっていたけどね」。今回は4年ぶりに全日本のユニホームにそでを通し、プロとして初めて世界一に挑むだけに、意気込みも違った。高橋由の活躍に刺激され、慶大の後輩、西武佐藤友も3打点の活躍を見せた。
日本の天才打者のワンマンショーは地元台湾の野球ファンも熱狂させた。6回の第4打席には「TAKAHASHI」の名前がアナウンスされると、ほぼ満員に埋まったスタジアムは大歓声に包まれた。
これで開幕4連勝。予選B組で単独トップに立ち、きょう11日のオーストラリア戦に勝てば決勝トーナメント進出が早くも決まる。しかし、試合後の高橋由の表情に笑顔はなかった。「次勝たないと意味はない。次は向こうも目の色を変えてくるはず。本当に次です」。決勝トーナメントでも返り討ちにする。高橋由の目には世界一しか映っていない。
◆97年VTR
1回裏高橋由(慶大4年)が3ランを放ち先制。勢いに乗った全日本打線は、キューバ投手陣に15安打を浴びせ、11点をもぎとった。先発の上原(大体大3年、現巨人)も6回途中まで、リナレスのソロだけに抑える好投を見せた。結局11-2で大勝。87年以来、国際大会公式戦(五輪、世界選手権、インターコンチネンタル杯、パンアメリカン杯)で負けなしの151連勝中だったキューバに土をつけた。全日本は全員がアマチュア選手だった。
◇1997年8月10日
第13回インターコンチネンタル杯決勝◇スペイン・バルセロナ・ビラデカンススタジアム
キューバ 000001010|2
日 本 33002003X|11
【キ】リセーヌ、ロメロ、コントレラス、ラソ-マンリケ
【日】上原、宮田-藤井
(本)高橋、梶山、リナレス、パチェコ
◆日本のキューバ戦成績
五輪、インターコンチネンタル杯、W杯(世界選手権から名称変更)の3大大会に限ると、この日の試合を含め32回対戦。通算成績は3勝29敗で勝率9分4厘。初対戦は72年の世界選手権で0-2で惜敗した。初勝利は85年のインターコンチネンタル杯で3-2で破った。2勝目もインターコンチネンタル杯(97年)で、W杯では12度目の対戦で初勝利だった。ちなみに五輪はキューバが参加した92年のバルセロナ五輪以来、5戦5敗とまだ白星がない。
※記録と表記は当時のもの