プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月10日付紙面を振り返ります。2012年の1面(東京版)は花巻東・大谷翔平投手の日本ハム入団表明でした。

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 日本ハムからドラフト1位指名された花巻東・大谷翔平投手(18)が9日、入団することを正式に表明した。岩手・奥州市内のホテルで、栗山英樹監督(51)ら球団側と対面して伝えた。メジャー挑戦を表明していたが「エース兼4番」での育成方針など、球団側の将来性を加味した提案に翻意。謝罪を繰り返しながらも、将来的なメジャーを目指すと宣言した。最速160キロ&高校通算56本塁打のスーパールーキーが誕生し、来季の日本球界の盛り上げに一役買う。

 口を真一文字に結んでいた。神妙な表情は崩さなかった。大谷は、晴れの日にも笑顔を封印。表情を崩したのは、カメラマンの注文に応じて栗山監督と握手をした時だけだった。第一声に、18歳にはつらく、重い決断だったことが表れていた。「北海道日本ハムファイターズさんに入団させていただくことを、伝えさせていただきました。たくさんの方々にご迷惑をお掛けして、本当に申し訳なかったと思います。日本球界の方々や、遠くアメリカから来ていただいたメジャー球団の方々…。ご迷惑をかけて申し訳なかったと思っています」。指名を回避した国内他球団、奔走させた米球団への謝罪の言葉に、あふれていた。

 揺れ動いた胸の内を、ようやく吐露できた。10月21日にメジャー1本へ進路を絞ったことを表明した。その4日後のドラフトで日本ハムから強行指名を受けたが、まだ思いは強かったという。「決断した日から、その時は自分もやっぱりアメリカで長くプレーするためには行った方がいいという考えがあった」と明かしたが、交渉を重ねていくうちに気持ちは動いていった。

 若年期のメジャー挑戦の不安を示した30ページに及ぶ「大谷翔平君 夢への道しるべ」には「自分の知らないことがあった」と言い、画期的な「エース兼4番」の二刀流育成プランと、具体的に示されていくうちに心変わりした。「自分の中でどちら(投手と打者)でやりたいのか…。やりたい方は投手なんですけれども、どちらで、というのが自分の中ではっきりしていない。どちらでもやってみたい。すごくうれしかった」と言葉を選んだ。

 野球を極めてから、メジャーへ-。その夢の過程を修正し、描き直していくうちに、日本ハム入団という結論が出た。最大の理解者である両親とも相談した上で、決意が固まった。「投手と打者を両方やるという選択肢は自分の考えにはなかった。最終的にはメジャーリーグに行ってみたいと思いますし、自分のあこがれている場所。それにいたるまでの道として、新しく、ファイターズさんから新しく道を教えてもらったという形」と翻意の理由を口にした。

 スーパー球児は来季、「日本ハム大谷」としてスタートを切る。「(栗山監督に)誰にも歩いたことのない道を歩いて欲しいと言われました。自分もそういうふうな選手になれるように頑張っていきたい」。前人未到のパイオニアとして生き抜くことを宣言した。覚悟を決め、日本で野球人生をかける。

<大谷翔平一問一答>

 -入団の決め手は

 大谷 決断した日から、その時は自分もやっぱりアメリカで長くプレーするためには行った方がいいという考えもありましたし。それをファイターズさんとの交渉で考えていくうちにだんだんと変わってきた。

 -日本ハムのチームのイメージは

 大谷 チームカラーもすごく自分の高校に似ているチームだなと思いますし、すごく若い選手が頑張っている素晴らしいチームだな、と思います。日本シリーズを戦っていても、温かいファンの方がすごく多いなと思います。すごく球団にもご迷惑をお掛けしたので、1年目から貢献できるように、ファンの方に喜んでもらえるように頑張りたいと思います。

 -入団後の展望と背番号11は

 大谷 今の段階では、あちら(メジャー)に行っても(日本に)残っても、まだまだ活躍できる選手じゃないというのは自分は分かってます。どちらを選択するかと言われた時に日本に残るという決断をした。今の段階ではしっかりと、それ(将来的なメジャー)に見合う選手になりたいと思います。背番号11は自分としては、うれしいですし、すごく特別な番号。

※記録や表記は当時のもの