阪神安藤優也投手(39)が今季限りで現役引退することが14日、分かった。プロ16年目の今季は若手重用のチーム事情もあって1軍に昇格できず、2軍戦登板にとどまっていた。体力的な衰えもあり、自ら決断した。03年はセットアッパー、05年は先発として2度のリーグ優勝に貢献。08年から3年連続開幕投手を務め、いずれも勝利投手になったのは球団史上初だった。今日15日に発表され、西宮市内で会見に臨む。

 さらば、愛しのマウンド…。正確無比な制球を武器に一時代を築いた安藤が、ユニホームを脱ぐことが判明した。苦渋の決断だった。今季は開幕から2軍暮らしが続いた。伸び盛りの若手にチャンスを与えるチーム方針もあり、1軍昇格はここまでない。

 夏に入って体力の衰えを痛感し、引き際を悟った。8月初旬の時点で防御率0点台を保っていたが、投手陣最年長の39歳右腕も次第に球威は失われ、打ち込まれるケースが続いた。球団と9月に入って去就を話し合う場を持ち、グラウンドを去る決意を固めた。

 阪神の黄金期を支えた功績は色あせない。01年のドラフト自由枠で入団し、1年目から1軍戦に登板。頭角を現したのは、星野監督が指揮を執った03年だ。セットアッパーに転向して51試合に登板し、防御率1・62の好成績。18年ぶりリーグ優勝に貢献した。岡田監督率いる05年は先発として11勝を挙げ、頂点へ。馬力があり、制球力も併せ持つ本格派右腕として2度の優勝で強烈な存在感を示した。

 逆境でも自分を見失わない。今年は鳴尾浜に通う日々だが、こう漏らしたことがある。「自分の野球に対する考え方や若手と接していて気づくことも多い。貴重な体験になっている」。20歳近く離れた若手と食事に出掛けたこともあった。実直な人柄で分け隔てなく接し、親身になる。あるべき「背中」の意味を分かっているベテランだった。

 「巨人桑田」のシルエットを追い続けた。小学生の頃に宮崎キャンプを見学。下敷きを宝物にするなど、憧れの存在だった。「投げ方もマネしていたよ」。美しい投球フォームの土台になった。安藤は言う。「外角低めの真っすぐが俺の生命線。何千球も何万球も投げた。体に染みついたものがある」。原点のアウトローを武器に、08年から3年連続で開幕投手として白星をつかむ。球団史上初の快挙だった。右肩痛に苦しんだ11年はわずか登板1試合。真冬の寒風吹きすさぶ鳴尾浜のブルペンで投げ続け、復活した。昨季まで4年連続で50試合以上に登板。先発、救援で通算77勝66敗11セーブ、92HPを重ねた。白球に情熱を燃やしたプロ16年だった。

 今後の進路は未定。今日15日、西宮市内で引退会見に臨む。今季の本拠地甲子園最終戦で引退試合を行う方向で、現時点では25日DeNA戦が濃厚。糸を引くような球をアウトローへ。一世一代の、男の花道を飾る。

 ◆安藤優也(あんどう・ゆうや)1977年(昭52)12月27日、大分県生まれ。大分雄城台-法大-トヨタ自動車を経て、01年ドラフト自由枠で阪神入り。2年目の03年に主に中継ぎで優勝に貢献。04年アテネ五輪代表。05年の勝率6割8分8厘(11勝5敗)はセ・リーグ最高(当時は表彰なし)。通算登板数485試合は球団8位。今季は1軍戦の登板はなく、ウエスタン・リーグで28試合、0勝0敗、防御率4.10。184センチ、99キロ。右投げ右打ち。