打者ではなく、これからは野球少年と「格闘」する。今オフ阪神を退団した柳瀬明宏投手(34)は、来年から古巣ソフトバンクのジュニアアカデミーでコーチとして第2の野球人生の幕を開けることになった。

 「オファーをもらった時はうれしかったですね。将来何をしたいと聞かれたら、教えたいというのがありましたから」

 05年に大社ドラフト6巡目でソフトバンクに入団。1年目からプレーオフで好救援をみせた。彗星(すいせい)のごとく現れて輝きを放った一方で、故障に泣かされた。肘にはメスを3回も入れた。

 「いなかったら辞めていたと思います。いい先輩に恵まれました」

 そう話すのは斉藤和巳氏の存在だ。10年オフに最初の戦力外通告を受けて育成契約を結んだ際、同氏も右肩痛のためリハビリを続けていた。オフは自主トレに同行。困ったら何でも相談した。先輩の支えもあって12年6月、支配下登録選手として復活を果たす。35試合に登板したこの年から3年間は中継ぎ陣の一角としてフル回転。秋山政権の屋台骨となり、日本一の美酒を味わった。ただその後は登板機会に恵まれず、16年に2度目の戦力外通告を受ける。同年オフに阪神へ移籍も、3度目の戦力外通告を受けてユニホームを脱ぐ道を選択した。

 「この1年は後悔しないように全力でやり抜けた。いい時も悪い時も経験できたのはよかったです。自分なりの野球人生を歩めたのかなと。辞めたから思うことがあるんです。野球したいなって。だからこそ『野球は楽しい』ってことを伝えたい」。

 プロでの12年間は、野球選手を全うするために毎日球場へ向かった。離れて気づかされた野球への思い。野球を始めたのも「近所のお兄ちゃん」や友達とプレーして「楽しい」と感じたから。原点を思い出した柳瀬は福岡で再出発する。【阪神担当 山川智之】

 ◆柳瀬明宏(やなせ・あきひろ)1983年(昭58)7月8日生まれ、広島県出身。如水館-龍谷大を経て05年に大学社会人ドラフト6巡目でソフトバンク入団。入団から3年間で84試合に登板したが、右肘を手術した影響で10年オフに育成選手契約。12年6月に再び支配下登録されたが、16年に戦力外となって阪神に移籍。今オフ3度目の戦力外通告を受け、現役引退を決意した。176センチ、78キロ。右投げ右打ち。