巨人、侍ジャパンなどで監督を務めた原辰徳氏(59)と阪神金本知憲監督(49)が15日、都内の野球殿堂博物館で行われた殿堂入り通知式に出席した。原氏は親子鷹として知られた亡き父貢氏(享年78)に朗報を届けた。

 いつも通りのさわやかな笑顔の下に、誇らしさ、照れくささといった一流の人間が醸し出す雰囲気が隠れていた。壇上に立った原氏は「皆々さまのおかげです。感謝しています。それほど誇れる選手ではありませんでしたが、(引退後の)監督として12年間が評価していただいたのだと思います」と謙虚な言葉で感謝の気持ちを表現した。

 チームの陣頭指揮をとった12年間で、リーグ優勝は7回。3度の日本一だけでなく、第2回WBCでは「侍ジャパン」を世界一に導いた。自らの野球人生を振り返り「本当に緊張したのは2回。東海大相模で初めて甲子園に出たとき。まだ中学を卒業して何カ月しかたっていなかったし、入場行進のとき足が震えた。WBCでの初めての韓国戦でもプレーボールの数分前、おなかが痛くなって、胃腸薬を飲みました」と告白した。

 肝の据わった采配は、生まれたときから育まれた。父親の貢氏(故人)の教育は厳しかった。「俺の下で野球をやるなら覚悟が必要だ。みんなが1発、殴られるなら、お前は3発になるって言われたんだけど、実際は10発以上だったよ」という親子の思い出。今では「それでチームの和が保たれたと思う。1年でレギュラーになったけど、先輩からは“タツはかわいそう”と優しくしてくれた」必要以上に厳しかったのは、愛情の大きさ。厳しい監督業を実行するための礎にもなった。

 監督就任時には「考え事をするときは枕に頭を乗せて考えるな。部屋を明るくし、椅子に座って考えろ」と教えられた。監督1年目に開幕4連敗した。「そうやって考えたら、小さなことじゃないか、と思えた」と窮地で動じない采配を振るい続けた。

 「その後にもたくさんの人から勉強させていただいた」と感謝。「辰徳は俺を超えた」と言って他界した貢氏が、誰よりも喜んでいるに違いない。【小島信行】