星野氏の盟友で阪神監督時代はチーフ打撃コーチとして支えた田淵幸一氏(71=野球評論家)が10日、ABC(朝日放送)のテレビ中継にゲスト出演。星野氏への思いを語った。

 出会いは自身が法大、星野氏が明大で競った東京6大学時代だ。「とにかく闘志むき出しで向かってきた。オレは22本塁打(当時のリーグ記録)打ったけど彼からは1本も打ってないんだ」と話した。

 ドラフトではどちらも意識していた巨人から指名されず、田淵氏は阪神、星野氏は中日入り。「あのとき『おまえは巨人戦でガンガン本塁打を打て。オレは三振を取ってやる』と言ってね」。当時から打倒巨人を心に誓っていた様子を明かした。

 01年12月にゴルフ場で待ち合わせた星野氏が「おい。やるぞ!」というので「おお。いい天気だしな」と返すと「ばか野郎、ゴルフの話じゃない! いっしょにタテジマを着るぞ!」と阪神監督就任を明かされた秘話も披露。いつか同じユニホームでやりたいと常々、話し合っていただけに「うれしかったね。二つ返事で引き受けたよ」と当時を振り返った。

 ともに戦った阪神での2年間で友情はさらに深まったという。「それまでも親友だったけど。あの2年間で大親友になった。同級生だけど敬語で話した。彼についていったよ」。雑談などで星野氏は「オレは77歳までは生きるからな」と言っており「それならオレは88だ。悪いけどな」と背番号にちなんで返していたそう。「それなのにね…」と寂しそうに話した。

 番組内で金本監督にインタビューし「あの年、阪神に来てくれてありがとう」とお礼を言う場面もあった。その金本監督には今年の沖縄・宜野座キャンプで「もっと星野監督のマネしてもいいんじゃないか。アメとムチを使ってね」とアドバイスも送ったという。

 昨年、田淵氏が大動脈瘤(りゅう)の手術をした際に星野氏が見舞いに来たが「本人は自分がガンと知っていたのに。弱いところ見せずに気を配ってね」としんみり話していた。今月に予定される星野氏の「お別れの会」では弔辞を読む。【編集委員・高原寿夫】