史上初の1000試合登板を達成した中日岩瀬仁紀投手(43)の試合後会見の一問一答は以下の通り。

 

-どんなことが胸に去来しているか

「1年目のあの開幕戦(広島戦でリリーフ、1死も取れず降板)からスタートして、ここまで来るのは非常に長かった。肘を痛めて、投げられなくなってからの道のりが大変だった」

-記録の節目で聞かれてきたが、1000試合で一番の思い出は

「いま聞かれたら今日になる。最初か最後かという感じ」

-今日はチームが5連敗の中でのクローザーとしてマウンドに立ったが

「今日は9回を岩瀬でいくと言われてた。点差が点差で、久しぶりに足が震えた」

-打者4人と対戦

「マウンドに向かうときに、大歓声をいただいて、鳥肌が立ちそうだった。そこから投げないといけない。1人1人しっかり投げないといけないと思った。先頭にいい形で追い込んだけど、まさかデッドボールを当てると思わなかった。走者を出してからは、もう1度気持ちを切り替えて、1人1人、対戦していこうと思った」

-終えてみてどうか

「いつも節目には弱い。今日だけは、お願いします、というか、今日だけは運が向いてくれるように願った」

-去年のプロ野球新記録の950回登板も、今日もセーブがついた

「そこで使っていただいた監督に感謝したい」

-お立ち台では涙もあったが

「率直にうれしかった。ちょっと感情が高ぶりました」

-2018年の1000試合登板への意識は

「1000試合については、今年初めから1年から無事にやれば到達できると思っていた。なかなか今年はうまくいかないところもあって、登板数も増えなかった。どうなるのかな、という思いもあった」

-1000試合登板への重圧は

「そんな重圧はなかった。自分の中では、絶対到達しようと思っていた。ケガなく来られて良かった」

-球界最年長の肉体面の強さは

「肉体的に強いと思っていない。支えてくれたトレーナーや、コンディショニングコーチ、治療していただいた方々に感謝したい」

-故障を乗り越えての達成はどう思っているか

「投げられなかったときは、1000どころか引退もよぎった。とてもここまで来られるとは思わなかった」

-引退から立ち上がれた要因は

「応援してくれる人たちと、支えてくれる人たちがいた。ここまで来られた」

-精神面の強さは

「いろいろな経験をした。マウンドに上がれば、スイッチが入るというか、もう1人の自分が出て来る感覚があった。毎日投げるのは怖かったが、マウンドに上がって気持ちを切り替えた」

-今日は若い人たちからマウンドでバトンを受けたが

「今年1年は投手が苦しんだ。最後はああいうふうにつないだ。自分もしっかりつなごうという気持ちで投げた」

-森監督への思いは

「監督とは長い時間やってきた。いいときも悪いときもあって、その中で自分を信頼して使ってきてくれたことに、感謝しています」

-試合後に乾杯したそうだが

「チーム全員で1000試合のお祝いで乾杯をさせていただいた」

-1000試合以降は

「まだ残り試合あるので、しっかりやりたい」

-足が震えた記憶は

「いつもマウンド上がるときは、すごく緊張している。なかなか足が震えるまではいかなかった。(過去に)記憶がない」

-優勝の瞬間や、日本代表として登板したが、涙することはあったか

「覚えていない」

-涙は驚いたか

「まさかこういう舞台で使ってくれるとは思ってなかった。ましてや1点差の場面だったので。感情が出た。抑えて感情が出た」

-うれしかったのか、ホッとしたのか

「両方です」

-福留との対戦はどうだった

「いつも孝介との対戦は、同期で入って、いい思いもつらい思いもたくさんしてきた。対戦するようになって、特別な空間というか、互いに意識しながらやってきた。孝介だけは別な思いがあった」

-次の目標は

「目標の位置に掲げてなかった。あくまでも今年1年やれば、通過できるという気持ちでやっていた。達成できたので、次の登板に向けてしっかり、調整したい」

-1001(仙一)という数字への思いは

「そうやって言われるので、すごく、逆に思いとか…。こじつけてはいけないのではと思う」