阪神ドラフト1位「近本光司」の素顔に迫る連載の第2回は「無人の関学大グラウンドで二人三脚の日々」です。証言者は関学大の1学年後輩で学生コーチだった植松弘樹さん(関学大職員=23)と、当時の監督竹内利行さん(68)です。

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胸に秘めていた「野手転向」の決断。近本は二人三脚で汗を流した“専属トレーナー”に相談していた。

植松マネジャー ずっと付きっきりでしたね。始まりは肩肘をケガをして投手の練習ができないとき。ケガを治す知識や鍛えるトレーニングを知りたいと(近本が)言ってきて、野手に転向する意思があると知ったんです。

打者の手元で消えるスライダーを駆使するサウスポーとして入学したが、肩肘の故障に泣かされた。2人の出会いはケガ組での体幹トレーニング。次第に筋トレ話に花が咲いた。

植松マネジャー 誰が見ても身体能力が高く、常人ではないです。走ったり跳んだり、体のバネは他の人とは一線を画している。ただ、僕が出会ったときは、その使い方を理解していない状態でした。

静かなグラウンドから「トン、トン…」と着地音がする。並べたハードルを、膝を曲げずに両足ジャンプ。さらに太ももをゴムできつく縛って全力ダッシュなど、珍しい練習法を考案し、体を鍛え抜いた。当時、植松さんもケガに悩まされプレーできなかった。選手として復帰したい気持ちはあったが「一緒にやってくれ!」とお願いされ、心が動いた。“専属トレーナー”に転身。練習メニューを組み、食事制限も課すなど、生活リズムの全てをマネジメントした。

植松マネジャー 何がすごいか。周りに「いつまで練習するんだ」とか「何をしているんだ」とからかわれても、全くメゲませんでした。やるべきことを考えて取り組んでいました。

周囲の声は気にならない。自分が打者になるために必要だと思った練習を、意欲的に取り組んだ。

当時の監督も明かす。

竹内元監督 僕も含めて周囲が「絶対に打者でいくべきだ」とセンスを見て言った。「バッティングの方が絶対にいいですよ」と、報徳学園の永田監督(当時)が。対戦経験から「あの子は絶対に野手の方がいいです」って、何回も。

次第に、心は打者に移っていった。2年秋に野手転向を決断。半年後の3年春には関西学生リーグでベストナインを獲得するまでに頭角を現した。

竹内元監督 常識をわきまえていて、「一徹」なんです。決めたら、そこだけを見ている。足も速いし、頭もいい。「使おう」と思わせてくれる選手でした。

絶対に打者で成功する-。居残り練習で育んだ強い意志で、決めた目標まで向かう。やると決めたらやりきれる。その真っすぐな心は、プロでも武器になる。(つづく)【取材・構成=真柴健】