7日のオープン戦中日-DeNA戦はナゴヤ球場で開催される。予想先発は中日が大野雄、DeNAはドラフト1位の上茶谷大河投手(22=東洋大)。

同球場での1軍戦は23年ぶりとなる。長嶋巨人が最大11・5ゲーム差をひっくり返して優勝を決めた1996年10月6日の中日-巨人戦以来。「メークドラマ」が完結したこの一戦を、当時の日刊スポーツ紙面で振り返る。

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【1996年10月7日付け】

メークドラマは最高の「ミスタースマイル」で幕を閉じた。10月6日午後9時20分46秒。巨人がプレーオフを目指す星野中日に勝ち、2年ぶり28度目の優勝を飾った。長嶋茂雄監督(60)が7度、2年前と同じナゴヤの夜空に舞った。最大11・5ゲーム差あったペナントレースを追いつき、追い越した苦しいシーズン。胴上げを中日に4夜連続で阻止されたイライラを吹き飛ばした分だけ、長嶋監督の笑顔は「セ界一」の輝きだった。巨人は19日からオリックスとの日本シリーズに挑む。

とびきりの笑顔で長嶋監督が舞った。1回、2回、3回……。両手を広げた長嶋監督が7度もナゴヤの夜空に舞って、メークドラマはハッピーエンドで幕を閉じた。

待ちきれなかった。9回裏、1死を取ると、ほおが緩み始める。2死では所サブマネジャーから、胴上げに備えてジャンパーのジッパーを下ろされると、「エヘヘ……」とテレ笑い。2日のヤクルト戦で目標の75勝に到達。2年ぶりの優勝に王手をかけた。しかし、4日間、中日に土がつかず、優勝が決まらない。「直接対決で決める」とは言ったものの、ゲームセット前のフライングの笑顔が待ちわびた心境を素直に表していた。

「前半は長く、後半は短く感じられました。今年の展開はもう一度やれと言われてもできませんよ」。長嶋監督が言うように波瀾(はらん)万丈の一年だった。4月の開幕ロケットダッシュに失敗。5月に16勝9敗も、その反動で6月に再び8勝14敗と負け越し。中でも28日からの広島との3連戦3連敗はこたえた。「もうダメだ」。親しい関係者に初めて弱音を吐いたこともあった。

しかし、傷心の長嶋監督に勇気を与えたのが1羽の鶏だった。東京ドームの監督室に飾ってある木鶏(もっけい)である。今年3月、埼玉・飯能にある能仁寺に必勝祈願に訪れた際、友人の荻野映明和尚から贈られたものだ。昔、中国で、ある男が無敵の鶏を育てた。その鶏は木で作られたようにおとなしく、ジッと動かなかったが、相手の鶏はことごとく逃げ出した。勝負にとらわれない無心の境地こそ真の強さ。「泰然自若ですよ。あるがまま、なるがまま」。苦悩に満ちた長嶋監督がフッきれたように、忘れていた笑顔を取り戻した。

笑う門に、福は来た。若い選手が監督の笑顔に乗せられる。落合、川口、河野らのベテランは「監督の笑顔が見たいから」と張り切った。長嶋茂雄のカリスマ性が「スマイル効果」を2倍にも3倍にも膨らませた。笑顔と徹底したプラス思考。7回裏、無死一、二塁のピンチに長嶋監督はマウンドへ走った。「大丈夫。全部、抑えられるから、な、なっ」。ピンチは1死満塁まで広がったが、水野がパウエルを遊ゴロ併殺打に仕留めピンチ脱出。「勝負運をつかんだ」と長嶋監督はベンチを飛び出すと、水野と握手して優勝を確信した。

この日、午後2時すぎに名古屋入りした長嶋監督は宿舎に着くと宮本、木田、河野、水野、川口の5人を笑顔で自分の部屋に招き入れた。「きょうは君たちに託すぞ。頑張ってくれよっ、エッヘッヘ」とそれぞれの肩をバチンとたたいて出陣させた。悲壮感を漂わせた一昨年の「10・8決戦」とは明らかに違うムード。フタをあければ、5人のリレーでシナリオ通りに中日を振り切った。

振り返れば落合が死球でリタイアした9月以降は苦しい試合ばかりだった。しかし、長嶋監督の采配に選手が操り人形のように動いた。1点差試合は6勝1敗。「数字的には厳しい戦いを強いられましたが、長い野球人生の中であきらめてはいけない、粘りを選手から教えられました」。ビールかけでは、ほおを紅潮させながら、顔をクシャクシャにした。メークドラマのフィナーレに、指揮官が「大好きだ」というヒマワリのような大輪の花を咲かせた。