阪神を戦力外となった西岡剛内野手(34)が18日、栃木・小山市内でBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスへの入団会見を行った。以下は西岡の一問一答。

-西岡選手から一言

まず始めにプロ野球という世界にずっといてて、いっぱいマスコミに囲まれてきた人生なんですけど、あらためてこうやって記者の方にお集まりいただいてすごくうれしく思います。ただ、監督が緊張されているのか、僕も緊張してきました。では始めます(笑い)。

このたび栃木ゴールデンブレーブス(GB)に入団いたしました西岡剛です。この機会をいただいたエイジェックならびに栃木県民球団に感謝したいと思います。ここから質疑応答ですよね? 緊張しますね(笑い)。

-栃木GBに決めた経緯は

戦力外になりまして、トライアウトを受けてNPBを目指したんですが、トライアウト直後に栃木ゴールデンブレーブスの方から声をかけていただいて、6球団くらいから声をかけていただいたんですけど、最初に声をかけていただいた。それと野球ができる環境ですね。NPBに戻るためには環境が必要ですから。そのために設備が整っているというのも含め、栃木GBを選びました。

-いつごろ

決断したのは、2月に入った時には決断してました。

-トライアウト後、他の選択肢はあったか

今まで野球をしてきて、高校はいる時もそうですけど、選択する場面というのは経験している。アメリカ行く時もそうですし。今回戦力外を受けて、トライアウトを受けて、NPBから声がかからない。この後どうするかという気持ち。今まで僕が進んできた人生というのは楽な道ではなかった。こっちが困難な道だなと思えば、僕は困難な道を選んできた。選ぶ性格なんで。でも決してその道は簡単じゃないかも分からないですけど、どこがゴールかも分からないですし、歩んでいく中で、厳しい道の先にもし成功というものがあれば、誰もがなしえない快感というモノに行き着くと思っている。僕はとにかく険しい道を歩む。僕はただ単に野球が好きなだけ。野球を愛している。野球しかできない。4歳から野球をやってきて30年経ちますので。それを34歳になって戦力外になって、まだNPBに戻るという夢をこの年になっても追いかけるということが、僕はうれしく思っています。

-野球にかき立てるものは

絵を描く人は努力して絵を描いているわけでない。描くのが好きで書いている。歌っている人も歌っていることが好きで歌っている。それを努力と感じた時には、その先は無いかもしれないですね。

-背番号1。7番、5番の印象が強い

1番と5番が空いていると言われて、5番で戦力外になりましたので、5番をつけたいという気持ちにならなかった。1番というのは一から出発するという意味を込めて、非常に良い番号を与えてもらったと思ってます。

-内野手兼外野手の登録

本気でNPBを目指して明日から練習をスタートするんですけど、栃木GBの選手はNPB目指して戦っている同士。僕が入ってきて固定されるよりか、僕自身もNPBで外野も経験しましたし、本気で狙っているからこそ引き出しというモノを身につけて戦っていきたい。キャッチャーはやりたくない(笑い)。

-昨年は村田修一さんが期限を設けて在籍した。西岡選手は

そういう質問が飛んでくると理解していたんですけど、明日の人生分かりますか? 分かりませんよね。僕もそういう気持ちで、先のことより1日1日を必死に成長していく人間でありたいと栃木GBのユニホームを着たいと思っている。その時期が来たら、どういう心境になるか僕自身は分からない。ただ、入団会見をして、気持ちは高ぶっています。とにかくNPBに戻るということを目標に、そして栃木県民球団の何かの縁だと思いますし、恩をしっかり返したい。地域の社会貢献を全力で頑張りたい。

-戦力外を受けてからの心境は

阪神球団から戦力外を受けましたけど、その時も引退試合を球団の方からオファーをいただいた。でも僕は引退をしないという風に答えた時点で、心境のブレはないです。もう1回NPBに戻るだけだと。その中でどこの球団も決まらずにトレーニングをしている間に、気づきだったり、プロ野球の世界はすごいと気づいたし。ブレはなかったですね。ただ、ふとした時に「俺何やってんのやろ」という時は一瞬ありました。この先どこ行くんやろという。逃げることも辞めることも簡単だと思う。その決断をした時に、やり遂げた方が幸せな人生だと思っています。

-環境面は厳しくなると思うが

アメリカのマイナーはもっと厳しいですから。以上です。

-単身で栃木に来るのか

幸せな家庭がありますので。妻にしっかりとサポートしてもらいます。食事でもそうですけど、僕は結婚するまで外食で好きなモノを食べてという。あまり深く考えずに進んできたプレーヤーだったので。それでケガをして失敗してしまったわけですから、そういう経験したことは若い選手に伝えたい。睡眠だったり、食事だったり、私生活のことが直結してくるのが野球。そういったものを伝えていきたい。

-日本一の「下克上」の経験もある。今回はどのくらいのチャレンジになる

先は見えないですよ。どんな道を歩んでも人生は険しいですよ。この会社に入って幸せか、嫌な先輩がいたり、個性が違う、性格が合わないかもしれない。でも社会に出たらそれでは済まされない。やっぱり我慢という部分が生まれてくるのが大人だと思います。僕も34を迎えて、そういう部分もプロ野球と違った環境でやっていく中で、そういう部分を勉強していく。僕自身もまだまだ勉強していく身分だと思うので頑張っていきたい。

-村田修一さんがコメントした。やりとりはあったか

今日これからお会いさせてもらいます。オリンピックで一緒にプレーさせていただいて、コメントを新聞を通していただいたというのはすごくうれしかったです。栃木GBのみなさんから村田選手がどれだけチームに貢献してきたかというのをお聞きしているので、それをしっかり継承して、自分の色を出せるところは出して、村田選手のやってきたことをつなげていければなという気持ちでいます。

-栃木GBのイメージは

1番やっぱり村田選手ですね。村田さんが入団した時に、あの村田さんが、あれだけの人が独立リーグでも頑張るという姿勢は、NPBにいた当時からすごく感銘を受けた。それで栃木GBという名前を僕も知った。その村田さんがやってきたことを僕も継承したいと思いますし、4月から開幕しますので、それまでには体を万全にして開幕を迎えたいと思っています。