阪神ドラフト3位の木浪聖也内野手(24=ホンダ)が亡き祖母への思いを胸に、開幕戦に臨む。新人ながら29日のヤクルト戦(京セラドーム大阪)に「1番遊撃」の座をつかんだ。注目の男はどんな環境で育ったのか。母・忍さん(51)がルーツを明かし、開幕を目前に控えた息子へ直筆の手紙を寄せた。【取材・構成=真柴健】

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開幕の晴れ姿を届けたい人がいる。大好きだった天国の祖母へ-。「1番遊撃」を実力でつかんだ木浪が、思いを込めてバットを振る。母・忍さんが明かす。「私たちが共働きだったので、祖母が学校終わりに少年野球に連れて。ほとんど祖母と一緒にいた感じですね」。少年野球の帰りの駄菓子屋に、バッティングセンターまで。いつも祖母の美津子さんが付き添った。木浪の野球選手としてのベースを作ってくれた人である。

最大の理解者であり、応援者だった。青森山田高では親元を離れた。「高校は寮だったので、なかなか会えなかった。だから、祖母を連れて、見に行った」。孫の勇姿を1度見たら、意外な行動に出たという。「勝手に車を運転して、聖也を見に行ってました。私たちに内緒で。危ないので『ダメ』って、言ってたんですけどね」。背丈が伸びても、ユニホームの色が変わっても、成長を自分の目で見たがった。「いつも着ている緑色のジャンパーが目立つんですよ。周りの人が『また来てるよ』って。それでも、聖也は本当にうれしかったみたいです」

そんな祖母は、聖也が大学生の頃に寝たきりになった。亜大から帰省した時のことだった。「聖也も、もういい大人になってるのに。寝たきりになった時に、祖母の背中を拭いてあげてるシーンを見たんです。何年たっても、おばあちゃん子なんだな、って。優しい男だなと」。

15年10月25日が別れの日になった。美津子さんは72歳で、この世を去った。それから3年後、運命の日が待っていた。ドラフト3位で、阪神から指名を受けた。18年10月25日、祖母の命日だった。「朝から家にお坊さんを呼んで拝んでもらったんです。『今日ドラフトなんです』と話したら、また別に聖也の名前でも拝んでくれて」。

美津子さんは自慢の孫が頑張る姿を見て、周囲に話していたことがある。「近所の人に『孫は絶対にプロ野球選手になるから』と言っていたそうです。亡くなってから近所の人に教えてもらったんですけど…」。プロの扉を開き、ずっと支えてくれた存在に、恩返しできた。「聖也の夢がかなったとき、(祖母の)夢もかなったのかなって」と忍さんは言う。木浪には夢の続きがある。亡き祖母の思いを胸に、シーズンに飛び出す。次は1軍で躍動する姿を天国にささげる。

▽木浪はこの日京セラドーム大阪で行われた全体練習に参加。29日のヤクルト戦に向け、コンディションを整えた。開幕を目前に控え、幼少時から支えてくれた祖母への思いを明かした。「何をやるにしても、おばあちゃんとずっと一緒だった。一緒に化粧をして日本舞踊をやったりです」。大切な思い出が、頭によみがえる。

サヨナラは突然だった。「病気になって、寝たきりになって…。大学生のときに亡くなっちゃって」。脳裏に深く刻まれる記憶がある。「(大学時代に)青森に帰ったときに一緒にお風呂に入ったことがあった。小さいときに、ずっと一緒に入っていたので、懐かしいなあって」。あの頃の気持ちは、いつまでも変わらない。

ドラフト指名された日は祖母の命日だった。「運命ですね、本気で。そうとしか感じてないです」。29日にはプロ野球選手としての第1歩をいよいよ踏み出す。「ずっと一緒だったから天国から見てくれてると思う。(プロ生活の)いいスタートが切れるようにしたい」。躍動する背中の「0」を見届けてもらう。