開幕から若き4番の奮闘を見てきた。打ってヒーローになったかと思えば負けたら戦犯扱いされる。絶賛と批判を日替わりのように味わうのが阪神の主砲だ。プロ3年目の大山悠輔は今季、そんな大役を任され、着実に前進する。25日DeNA戦は横浜スタジアムの右翼へ豪快に放り込んだ。ここまで24試合で5発。シーズン換算なら30本塁打に迫るペースなので上々か。

だが、開幕から4月中旬までインターネット上でもファンの厳しい声が噴出していた。4番は1日にしてならず。過渡期のチーム状況も念頭に置きつつ、もう少し「長い目」で見守るスタンスがあってもいいと思うのだが、とにかく性急で痛烈な意見が目立った。風当たりは強く、計り知れない重圧にさらされている。

開幕直後、打撃コーチの浜中治が言っていた。「どうしても気になるよね。俺と似ているから」。勝敗の矢面に立つ境遇は、かつての自分と重なるのだろう。16年たっても、脳裏に焼きつく。03年の4番に指名されたが開幕カードの横浜3連戦は14打席無安打。6戦目の広島戦で本塁打こそ放ったが、調子は再び下降線をたどる。いまの大山と同じ25歳のシーズンだった。

「最初の3連戦で全然、打てなくて。広島戦で打ったけど、また打てなくなった。4番は負けると、自分の写真が新聞に大きく出るでしょ。キツかったよね」

当初は広島からFA移籍してきた金本知憲が4番に座る構想もあったが「若い子にやらせてください」と譲った経緯があったとも聞く。ともあれ、白羽の矢が立ったのは01年13本塁打、02年18本塁打と着実に結果を残した浜中だった。バッテリーの攻めも厳しく、思うように結果が出ない…。

16年前、若き浜中は無駄口をたたかず、何かをこらえるように黙々とバットを振っていた。そんな姿が大山にダブったから「4番の記憶」について、つい話を向けたくなった。思い出は鮮明だ。いまなお、強烈な熱を発していた。苦悩し、重圧で押しつぶされそうな日々を過ごす。あるとき、監督の星野仙一から声を掛けられたという。

「絶対に外さんからな。はい上がってこい!」

星野が示した覚悟は、若き主砲の逃げ道を断つメッセージでもあった。右肩が不調で6月の重傷で長期離脱するまで、先発した全43試合を4番で起用した。

「あのときはね、毎日、田淵さんが声を掛けてくれたのもありがたかった」。星野がムチなら、チーフ打撃コーチの田淵幸一はアメだった。現役時代は474本塁打。阪神の4番も張った。「4番は簡単に真っすぐは来ないぞ。変化球が多いし、真っすぐも際どいところに投げてくる」。主砲の心構えや配球…。薫陶を受けた日々だった。

「4番の記憶」は、浜中が後進を育てる立場になったいまも、息づいている。開幕前の3月下旬、大山がオープン戦でようやく本塁打を重ねたとき、驚きながらも声をはずませていた。

「ユウスケには『20日までに仕上げろよ』と話していてね。そしたら、その日(3月20日ヤクルト戦)にホームランやからねえ」

スラッガーには、ミートする瞬間の独特な感覚がある。ボールがバットに吸いつく感じだ。だから、浜中は球をとらえる角度が分かる打者の斜め後ろで、よく打撃を見ている。開幕前の快音に手応えを深め「だいぶ、バットにボールが『乗る』ようになってきた。どちらかと言えば衝突する感じになってしまっていたからね」と解説していた。

生え抜きの開幕4番は実は03年の浜中以来だ。2人には、そんな縁もある。25日のDeNA戦で逆転勝利直後、浜中は三塁側ベンチで大山に声を掛けていた。思いを継いでいく。険しき道を歩む背番号3へのエールに映った。(敬称略)