どりゃ~! と豪快フルスイングで決めた。巨人阿部慎之助捕手(40)が史上19人目となる通算400本塁打を達成した。

4点を追う5回に代打で登場し、四球を選ぶと、6回から守備につき、同点の6回に中日田島から一時勝ち越しの今季1号。巨人の生え抜きでは王貞治、長嶋茂雄以来の大台到達を成し遂げた。

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尻をグッと沈め、下半身から伝わる力を全身に込めた。フルスイングした阿部が、バットをスパッと手放した。「2アウト、ランナーなしだし、ちょっと狙っちゃおうかなと思って打席に入った。そう思って入ったことはこれまでなかったから。狙いつつ、狙わないで打席に入れた」。目を見開き、顔が躍る。同点の6回2死、中日田島の初球、真ん中低めの142キロを捉え、400号メモリアル弾を確信した。右翼席上段に突き刺す、今季1号で大台到達を決めた。

積み上げた400本のアーチに守られてキャリアを重ねてきた。プロ1年目、ルーキー捕手のリードは未熟そのものだった。桑田、上原ら名だたる先輩投手にサインを出す指が固まった。「緊張じゃない。プレッシャーにプレッシャーが重なって、恐怖だよね」。マウンドとの18・44メートルは不安だけに支配された。「自然と涙が出てくる。なんでか分かんない。でも毎試合だったよね」。試合後にロッカー室に戻るとバスタオルを頭からかぶり勝っても負けても涙した。

プロ8年目の08年。痛打を食らいベンチに戻ると西山バッテリーコーチから「打てばいいんだよ。ソロを打たれたら2ランを打て。3ランだったら満塁弾だ」と尻をたたかれた。プロ19年目まで捕手としてマスク越しに本塁打を1400本以上も浴びてきた。「打てばいいんだよ」。気持ちがスッと楽になった。1年目に13本塁打、2年目以降も2ケタ本塁打を継続。チームの枢軸に成長していく過程で「打てる捕手」としての誇りが自分を支えた。

野球と出会った当初は本塁打なんて途方もなく遠い存在だった。小学時代のあだ名は「カンチャンの慎ちゃん」。3月20日の早生まれで同学年のチームメートよりも体は小さく非力だった。フェンスは、はるかかなたでポテンヒットが代名詞。「中学に入ってからじゃない。それまでは中心選手でもないし、いつも端っこにいたよ」と中学に入ってから少しずつ頭角を現してきた。

シーズン20発以上を量産していた全盛期に西武中村との食事の席での野球談議に衝撃を受けた。「おかわり君もヒットの延長が本塁打なの?」と問いかけると生粋のスラッガーから「本塁打の打ち損じがヒットです」と即答された。「だよね。やっぱり俺はホームランバッターじゃないよな」と大きくうなずき胸にとどめた。

過去に1度、意図して本塁打だけを狙った時期がある。最後に日本一になった12年の終盤戦だった。打率3割4分、104打点はリーグトップを独走。平成に入ってから04年松中(ソフトバンク)だけが達成した3冠王を射程に捉えていた。12試合を残してリーグ優勝を決め、個人記録に挑戦した。「チームとして勝ちたいと思うから打てるもんだと思った。俺の場合は1人の力じゃ本塁打にはならないんだなと」。結果的にノーアーチに終わり、ヤクルト・バレンティンの31本塁打に4本及ばなかった。

目的は自身の本塁打ではない。チームが勝つこと、優勝することしか頭にない。19年のキャリアを重ねてきたから確信がある。「チームが勝ってビールかけをしたい。もう1回ね。それを目標に自分が少しでも役に立てればいい」。本塁打1本が雰囲気を変え、戦況を変える。打ってきたし、打たれてきたから分かる。節目の400号もチームが勝つための1発になった。【為田聡史】