西武の2連覇は、この男なくして成しえなかった。森友哉捕手(24)が、攻守両輪の活躍でチームをけん引した。

山賊打線の中核に座り打率リーグトップ、100打点超え。先発マスクはこの試合で126試合目と、シーズン通して扇の要を担った。辻監督のもと正捕手として成長。平成の「打てる捕手」巨人阿部に代わるように、令和元年、「打てる捕手・森」が誕生した。

   ◇   ◇   ◇

優勝を決める空振り三振の1球がミットに収まると、マウンドに向かって走りだした。扇の要として歓喜の瞬間を迎えた森。増田の胸に飛び込んだ。優勝を喜び、そしてかみしめた。「一番うれしいのは勝って優勝できたこと。本当に大変でした。正直、優勝できるとは思っていなかった。口では言っていたものの」。捕手では、菊池が抜けた投手陣をけん引。打者では主軸。両輪で戦い続けた。

「守りは守り、打撃は打撃。違うスポーツ」

今季、炭谷という大きな存在が連覇を目指すチームからいなくなった。「主力が抜けても勝たないといけない。ましてや銀さん(炭谷)が抜けた。その穴を何としても埋めたいとずっと思ってやってきた」。守備でのミスを打席で引きずることが大きな課題だった。だから正捕手として迎えた今季、考え方を変えた。

正捕手・森に大きく動きだしたのは3年前。辻監督が就任したときだった。それまでは打撃を生かすためにDHや外野コンバートもあった。秋元1軍バッテリーコーチから意思を確認され「キャッチャーで勝負したい」と伝えた。しかしその年の開幕直前、キューバ戦で死球を受け左肘頭(ちゅうとう)骨骨折。復帰まで半年かかった。10年ぶりに優勝した昨季、同監督は「友哉を日本一のキャッチャーにする」と、スタメンマスクで74試合に起用。土台ができた。

捕手と主軸打者。一人二役。負担も倍だった。試合後の選手ロッカー室では、頭も体も疲れ果てて天井をあおぐ日々。頼りにしていた同じ捕手で大阪桐蔭の先輩の岡田が8月に負傷離脱した。アニキ役がいなくなり、自覚と責任と同時に、負担も増したが岡田から言われた言葉を思い出す。「黙っているだけじゃ、なんも分からんぞ」。投手との対話の大切さ。そのためには自分が冷静でないといけない。打たれても、ミスをしても、投手の目を見て話しかけた。

今季初めて首位に浮上した直後の12日ソフトバンク戦、岡田がスタンドにいることを知ると、打席で岡田の登場曲「それが大事」を流した。「来てるって聞いたんでね。ずっと一緒にやってきましたから。みんなに思い出してもらえたらと思って」。二人三脚だったことに感謝の気持ちを示した。

信条はフルスイング。ただ失いかけたときがある。結果が出なくなると知らぬ間に顔を出す、小さく当てにいくスイング。「しっかり振れとったのに、プロのピッチャーを見ているとスイングが小さくなってしまう」。すると悪循環に陥る。「それで結果が出るかもしれないけど、自分のスタイルじゃなくなるのが怖い。活躍する選手はバットが振れている。すぐに結果が出るよりも、長い目で見た方がいい」。調子を落とすと、打撃練習ではスローボールで意識的に大きくフルスイング。あえてホームランを狙うことでフォームの崩れを防ぎ、好不調の波を最小限に抑えた。

扇の要とクリーンアップ。打てる捕手として開花した6年目。MVP級の活躍が、2連覇の原動力になったことは言うまでもない。令和元年森時代。新たな時代が幕を開けた。【栗田成芳】