日刊スポーツは今日3日から、シーズンオフのスペシャル企画をお届けします。火曜日は阪神ナインの原点、足跡をたどる「猛虎のルーツ」。第1回は今季リリーフでフル回転した阪神島本浩也投手(26)です。福知山成美(京都)時代は、部内の不祥事で最後の夏にプレーできないなど苦難の連続でした。恩師の田所孝二監督(59=現岐阜第一監督)が、プロへの道を切り開いた不屈の素顔を明かしてくれました。【取材・構成=磯綾乃】

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高校3年になる直前、島本は突然甲子園への道を絶たれた。前年の秋は近畿大会8強。センバツ出場の当落線上で惜しくも漏れた1週間後、2月上旬の出来事だった。福知山成美に部員による不祥事が起こった。高野連の処分は2月9日から6カ月の対外試合禁止。最後の夏は出られない。戦いの場に立つことさえ許されなかった。

大学進学を目指し勉強に専念するため、野球部を去っていく仲間たち。ふてくされる部員もいた。そんな中、田所監督は島本と進路面談を行った。「どうするんや?」という問いに島本は「上で野球をやりたいです」とはっきり答えたという。目標もなくなり試合も出来ず、モチベーションを保つことは簡単ではない。「お前、プロに行く気持ちでやれ」。田所監督はそう声をかけ、2人でさらに大きな目標を作った。

入部当時51人いた3年生は、練習に出続けたのは十数人になった。それでも島本は毎日の練習を休むことはなかった。週2回はシート打撃や試合形式の練習に登板し、実戦感覚を養った。先の見えない日々にも、下を向かず腕を振った。

夏の京都大会が終了した7月末。福知山成美の3年生部員も引退した。それでもまだ島本の戦いは続いた。10月のドラフト会議に向けて、遊ぶこともなく後輩部員たちへ投げ続ける日々。「確かにしんどかったと思います。絶望の何カ月で。だからあいつはやっぱり、うれしかったと思いますよ」と田所監督は言う。甲子園への道を絶たれた約9カ月後、島本は阪神から育成ドラフト2位で指名された。努力が報われた瞬間だった。

「ヒーローになるやつなのに、最後は負け組のヒーローみたいな感じでしたね」。田所監督は高校時代の島本をそう表現する。高校2年の夏は京都大会決勝でリリーフ登板。9回1死までたどり着くも、犠飛でサヨナラ負けを喫した。秋の近畿大会では、初戦でPL学園を10奪三振の好投で撃破。しかしセンバツ当確がかかった準々決勝では、14回まで力投を見せながら最後は捕逸で敗れた。

「あと1歩」でたどり着けなかった主役の座。それでも地道に毎日歩み続けた。プロ9年目の今季。高校時代に耐え忍んだ島本が自分の定位置をつかみ始めた。【磯綾乃】

○…島本は高校時代を振り返り「あと1歩が遠かったです。1個上と2個上が甲子園に出ていて、行けるかなと思っていたんですが、そんなに甘くなかった」と話した。対外試合禁止になった直後は甲子園出場という夢を失い、直後の1カ月は野球を辞めようかと迷っていたほどだった。それでも両親に相談しながら続けることを決意。「それだけが人生じゃない。甲子園に出ていなくても活躍している人もいる」。つらい思い出を乗り越え、プロで大活躍している。

◆今季の島本 4年ぶりに開幕1軍入りを果たした。開幕カード3戦目の3月31日ヤクルト戦にシーズン初登板し、1イニング無失点と無難な滑り出し。安定感を発揮し、能見、岩崎と強力な左腕リリーフ陣を形作った。とりわけピンチに強く、得点圏被打率は1割7分2厘。チーム最多の63試合登板で逆転3位に貢献した。CSでも4試合に登板し、年間を通して安定した力を発揮した。

◆島本浩也(しまもと・ひろや)1993年(平5)2月14日生まれ、奈良県出身。福知山成美から10年育成ドラフト2位で阪神入団。14年オフに支配下登録への昇格を果たした。今年10月下旬に左肘をクリーニング手術。年内のキャッチボール再開を目指している。176センチ、73キロ。左投げ左打ち。