プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三氏が死去したことが9日、分かった。93歳。

   ◇   ◇   ◇

山下大輔氏(68=横浜大洋監督時代の内野手)

穏やかなたたずまいのなかに、肝っ玉の太さを感じさせる方だった。横浜大洋の監督就任1年目の春季キャンプ初日、その年にトレードで加入してきたベテラン選手がミーティングに遅刻してきた。遅れたと言っても1分もたっていなかったが、関根さんは「昨日今日、この世界に入ったんじゃないんだろ」と一喝。ドスの利いた声に緊張感が漂ったのを覚えている。

当時の投手から聞いた話だが、KOされた時でもニコニコしながらマウンドに来る。「交代しようか」と穏やかに話しながら、足をぎゅうぎゅう踏んづけるらしい。元大リーガー相手でも厳しかった。緩慢にみえるプレーをしたトレーシーに代走を出した。トレーシーは怒って、結局退団したが、意に介さない。腹が据わっていた。

関根さんが監督のころ、私は30歳前後でベテランの部類。ある年、若手中心の秋季キャンプのメンバーに入れられ、何で? と思っていたら「おまえがいくことが大事なんだ」と諭された。低迷しているチームを立て直すには例外はない、ということを示したかったのだと思う。大洋でもヤクルトでも、監督を辞められたのちにチームは強くなった。あとになって「関根さんのおかげ」と感謝されるタイプの指導者だった。ご冥福をお祈りします。