プロ野球の2020年シーズンが19日、無観客で開幕する。新型コロナウイルスの感染状況を慎重に見極めながら段階的に観客を動員していくプランだが、完全終息、ワクチンの開発にはまだ時間を要する。コロナ禍の自粛の中から生まれた工夫や発想は新様式のヒントになる。「元に戻る」ではなく未来につながるニューノーマルへの挑戦を「ミライボール革命」と題し、未来へとつながるプロ野球の新様式を模索する。

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生まれ変わったメットライフドームで「ニューノーマル」への挑戦が始まる。

18年に迎えた西武の所沢移転40周年記念事業の一環で、メットライフドームエリアの改修計画が一部完成。コロナ渦によって多くのファンは、その姿をまだ見ることができていない。井上純一事業部長(48)は「変えるものと、変えないものが出てくると思う。今までのことは、いつでも元に戻せる。新しいことをやっていきたい」と無観客での新事業を模索している。

近年、仕掛け人となってライオンズ色を前面に出した事業を展開してきた。夏の一大イベント「ライオンズフェスティバルズ」で17年炎獅子、18年獅子風流ユニホームなどを手がけ、球団創設70周年事業で陣頭指揮を執る同部長。ファンクラブ会員を中心に、顧客ネットプロモーションスコア(NPS)で評価調査を行っている。

「自分が満足するだけでなく、他の人に推奨できるかというよりハードルが高い質問を年間通じてやっている」。浮き彫りになったのはファンの勝利への強い欲。「今まで勝ってきた歴史があって、勝って当たり前という客層の方々がたくさんいる。そこでどれだけ熱狂させられるか、考えながら改善してやっている。事業も選手と同じで、12球団競争。所沢は都内からちょっと時間がかかるけど、球場に来ることの楽しみをどれだけつくれるか」。思案のまっただ中でコロナ渦が直撃した。

暗中模索。それはリンクの上でも続けてきた。

同部長は、スピードスケート500メートルで92年アルベールビル五輪銅メダルを獲得した元オリンピアン。28歳で現役引退後、グループ関連会社を経て13年に現職に就いた。「スケートで学んだ1つが柔軟性。事業でも方向転換はよくある。泰然自若じゃないけど、ドッシリ構えていないと周りが見えなくなる」。同五輪はフランスのサッカースタジアムにスケートリンクを張った、今では少ない屋外が舞台。当日は激しい雨が打ち付けた。悪環境を受け入れ、下馬評を覆す表彰台だった。

リンクでの悔やみきれない後悔の念も胸に刻む。2大会連続五輪出場し、地元開催となった98年長野五輪の1年前、かかとが外れるスラップスケートが登場した。

昨年マラソン界で話題になった厚底シューズのように“魔法の靴”と言われたが、導入を見送った。実力、実績は国内トップ3。順当にいけば出場権獲得は既定路線だったが、導入した周囲に次々とタイムを追いつかれた。遅れて導入したが、慣れる前に本戦出場を逃した。

「そこの地位を守るためには『これでいいんだ』という過信があった。スラップスケートが本当に速いのか、当時は分からなかった。でも、最初から新しいことに挑戦しなかったことに対して、すごく悔いがある。このコロナの状況で、変わるものと変わらないものがある。変わるものに対しては、自分自身の失敗から、より早く飛びついていかないといけないという危機感はある。新しいことに挑戦していかないと、スラップスケートの失敗がまた起こる」

かつてリンクにかけた情熱を、メットライフドームに注いでいく。【栗田成芳】

 

◆井上純一(いのうえ・じゅんいち)1971年(昭46)12月26日、埼玉・秩父郡荒川生まれ。元スピードスケート選手。日大から西武鉄道。日大在学中の92年アルベールビル五輪500メートルで銅メダルを獲得。20歳51日でのメダル獲得は、当時の冬季五輪史上日本人最年少。94年リレハンメル五輪500メートル6位。98年長野五輪は代表入りも本戦出場なし。W杯通算3勝。00年現役引退。西武グループ関連会社で人事部門などを経て13年、球団の事業部長に異動。