日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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7月4日未明に熊本県南部で発災した豪雨から、ちょうど1カ月がたった。江戸の名残を残し、拙者が20年以上通い続ける山鹿(やまが)市の芝居小屋「八千代座」はそのさまを保った。しかし球磨川が氾濫した人吉市は甚大な被害に姿を変えた。

球磨川は人吉盆地から谷を抜け八代市で海に流れ込む。いつもの夏なら川下り、ラフティングでにぎわう。それが記録的豪雨で球磨村の鉄橋が落ち、川幅の狭いところから広範囲にあふれ、人吉市が浸水した。

今年は、その人吉市が故郷で、9年連続リーグ優勝、9年連続日本一の巨人を率いたV9監督・川上哲治(享年93)の“100歳”にあたる年だった。その偉業をたたえるさまざまなイベントが開催されているさなかだった。

「川上哲治生誕100年記念事業実行委員会」会長の岡本光雄の自宅も2メートル80センチまで水につかったが、かろうじて2階に生き延びた。創業60年の地場スーパー「イスミ」を会長として経営するが、肉、魚、野菜など生鮮食品は泥に流された。

「まだまだ先が見えません。街中は片付きはじめていますが、住宅はまだまだ。ボランティアの絶対数が足りない」

川上記念展が開催されていた人吉クラフトパーク石野公園は自衛隊の拠点になった。ソフトバンク球団会長の王貞治が「わたしの野球人生でもっとも影響を受けた方」と立ち寄ったその場はすっかり様変わりした。

生誕100年イヤーで企画からお手伝いをしてきた拙者としても、球磨川沿いの旅館、またイスミの2階の事務所で、あるときは老舗球磨焼酎メーカーの「繊月酒造」で打ち合わせを重ねてきただけに無念だ。

1965年(昭40)の集中豪雨も経験した岡本は「球磨川は観光の目玉ですから、わたしはダム建設には反対のほうでした。ダムを作ると水量が減ると思ったからです。温暖化とダムによらない治水対策が進まなかった」と声を絞り出す。

「どこにでも災害は起きる。球磨川に罪はない。人吉に球磨川のことを悪くいう人はいない。負けずに再建に取り組みます」

川上少年は裕福から一転、家庭の事情で貧しい生活を強いられた。それでも球磨川のほとりで無邪気に水遊びに興じた。「神様」と称された天国の人は今、ふるさとに何を思うだろうか。川上のイベントとともに人吉の復興を強く願う。(敬称略)