ロッテ佐々木朗希投手(19)は「3・12」に実戦初登板した。偶然だったが、忘れられない日になるだろう。10年前の「3・12」と同じくらいに-。

小学3年生だった。3月12日の朝を、兄と弟と3人で身を寄せ合って迎えた。11日午後の大地震。岩手・陸前高田が大津波にのまれた。家も、いつも遊んだ公園も。小雪も散るような寒さの中を、必死に坂を駆け上がり高台へ逃げた。駆け込んだ老人ホームには大勢の人がいた。両親や祖父母の姿はない。町を覆う水はまだ引いていない。

食べるものもほとんどない。12日朝9時近く、母陽子さんと再会できた。陽子さんは11日は仕事で大船渡にいた。浸水で移動できなかった。不安が募る。朝5時に車で出発。主要道は通行できず、普段は30分弱の陸前高田に3時間半かけて戻った。しかし4人で他の避難所を探しても父と祖父母がいない。疲れ果て、大船渡の親戚宅に車で避難。しばらくして父、祖母と悲しみの対面をした。祖父はまだ見つかっていない。

4月に大船渡へ移り住んだ。「学校に行ってからは、4月くらいから…切り替えたというか、いつも通りになれたのかなと思います」。仮設住宅は小学校の校庭にあった。悲しみの中でも、新たな仲間たちと野球に夢中になって、すくすく育った。「野球があって、野球をしていて良かったなと思います」とこれまでの歩みを振り返る。

10年先なんてまるで見えなかったあの時から、10年が過ぎた。次の10年の道筋はハッキリ見える。美しい海の石垣島で語った。「何より、人としてももっと成長したい。もっと野球がうまくなった時に、人としても成長したなって思えるような10年後でいたいなと思いますね」。3・12が大いなる未来へのスタートだ。【金子真仁】

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