マートン、ゴメス、メッセンジャー、呉昇桓…。空前の助っ人大当たりで2014年のタイガースは日本シリーズ進出を果たした。バッキー、バース、ウィリアムスと優勝へ導いた優良助っ人だけでなく、超大物外国人の騒動を思い出す向きもあるだろう。1997年(平9)、わずか7試合出場でユニホームを脱いだマイク・グリーンウェルのことを。

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甲子園球場内の一室、OBルームと称されたスペースに50人を超える報道陣が詰めた。応接ソファのテーブルにはマイクを隠すように花が飾られていた。当時は2階にあった選手ロッカールームから、右足をギプスで固定したグリーンウェルが、手すりを頼りに降りてくる。休養、帰国、負傷だけにこのまま退団? 会見を待つトラ番記者の予想をまとめて裏切りさらに上をいく衝撃の結論が告げられた。

「野球選手には必ず引退が訪れる。わたしの野球人生は恵まれていた。阪神ファンには申し訳ないが、最後にいい球団でプレーできて光栄だ」

ボストンで10年近く主軸を張りミスターレッドソックスとまで呼ばれた男が、まるで未練を感じさせることなく、ユニホームを脱ぐと表明した。日本では出場わずか7試合。ペナントレースがようやく熱を帯び出す5月14日のこと。その唐突感もあいまって、理由を問われて発したセリフが、象徴的に残ることになる。

「背中の故障を治し、これからという矢先に足をけがした。もう野球は終わり、という神のお告げを聞いたのだと感じた」

「神のお告げ」で引退…。主砲を計算したチームの現場も、低迷打開を期待したファンも、すべてが肩すかしの強引すぎる幕引きだった。当時のチーム関係者が記憶をたぐる。

「そのものずばり、神のお告げ、という言葉であったかどうか。ここらへんが潮時だ、とか、自分は十分にやり切った、というニュアンスだったかと」

会見の場では意訳である「お告げ」を聞いたことにしたまま、グリーンウェルは米国に帰っていった。「わがまま」「自分勝手」「理不尽」というレッテルをはがす間もなかった。

お告げは聞いたのではなく、自分で決めたものだった。直接の引き金となったのは5月10日巨人戦(東京ドーム)。出場6戦目の4打席目に、右足甲への自打球で、膝をついた。エックス線検査で異常はみつからず翌11日も強行出場したが、痛みはひかず、腫れが治まらない。ナイターの後、フロリダ州アルバの自宅に国際電話を鳴らし夫人のトレーシーにもらした。「折れていたら、引退しようと思っている」。精密検査を受ける前から最悪の結末が選択肢にあったのだ。

その5カ月ほど前。96年12月18日。日本からの報道陣を含み70人近くの関係者を自宅に招いた華やかな契約発表に笑顔だったトレーシーは夫の「お告げ」に、静かにうなずいた。【町田達彦】(敬称略、つづく)

◆マイク・グリーンウェル(Michael Lewis Greenwell)1963年7月18日、米国ケンタッキー州ルイビル出身。北フォートメイヤース高を出て82年ドラフト6巡目でレッドソックス入り。85年にメジャー初昇格。当時は三塁を守るが左翼が主になり、87年にレギュラー定着。88年にメジャー記録のシーズン23勝利打点をマークしシルバースラッガー賞。メジャー通算12年で1269試合、打率3割3厘、130本塁打、726打点。MLBオールスターに2度選出。