福井工大(北陸)が6月の全日本大学野球選手権で躍進した。13日の慶大戦に完敗したが初の準優勝。10日の名城大戦で大会最多タイの17得点を挙げるなど打線が原動力になった。4月に就任した元広島、阪神の町田公二郎総合コーチ(51)の指導で打力が向上。キーワードは「目」と「足の裏」だ。ナインには同コーチが現役時に培った「赤ヘルイズム」が息づく。北陸でのチャレンジに迫った。【取材・構成=酒井俊作】

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大学球界に「旋風」を起こした福井工大の強さの秘密に触れた。準決勝前日の11日。神宮の室内練習場で休日練習を行い、筋骨隆々の打撃投手が投げていた。同じ場所を用いるプロよりも約1メートル前から、全力で快速球を放る。町田コーチだった。広島、阪神で現役時と変わらない体形で「まだ体は動きますよ」と笑う。

前から投げている理由を問うと、表情を引き締めた。

「速い球を打てたら遅い球はあわてることはない、という考え方です。目の慣れ。ベンチプレス60キロしか持てない子は100キロを持てない。100キロを持てる子は60キロを持てますよね」

北陸大学野球は140キロ前後の投手が多い。150キロ近い剛腕ひしめく全国の大舞台で振り負けない工夫だった。普段から打撃マシンの体感で150キロ超の球を打ち込む。5月下旬から、大会期間中も試合前、目慣らしの剛球フリー打撃を行ってから本番に臨んだ。10年連続43回目の出場だが、過去にない準備だった。

「間を取れないと打撃にならない。いかに早めに始動して間を取れるか。最初は(マシンの球威に)ビックリしていた。そこを慣れること。要は慣れですね」

大会最多の11安打を放って敢闘賞に輝いた木村哲汰外野手(4年=沖縄尚学)も「全国は球が速い投手が多くなる。振り遅れないために始動を速くする。速い投手対策をやってきた」と明かす。9日の大商大戦では左翼に本塁打を放った。

4月、総合コーチに就任すると下野博樹監督(60)に言われた。「打撃の方で魔法をかけてくれ」。同コーチの歩みが、そのまま指導の根幹になる。プロでは代打で活躍し、代打20本塁打はセ・リーグ記録だ。わずか1打席のチャンスで振り遅れていては勝負にならない。目慣らしは、代打稼業で欠かせない準備だ。社会人野球の三菱重工広島では監督として都市対抗に導いた。代打もトーナメントも一発勝負。1球で仕留める練習に生き方がにじむ。

福井工大ナインに何度も伝える言葉がある。「足の裏は、地面と友だちになりなさい」。7日の北海学園大戦で本塁打の長峯樹生外野手(4年=豊橋中央)も「地面をかむよう、下半身からです。飛距離は上がっている」と証言する。町田コーチには持論がある。

「踏ん張る力がないと前足に(パワーが)移行しない。足の裏でしっかり(地面を)かむこと。それができると追い込まれても変化球を我慢できる。足の裏が一番大事。私の考えです」

駆けだしの広島時代が原点だという。金本知憲、緒方孝市、前田智徳…。周りに好打者がそろっていた。

「昔からです。カープに私が入ってから、そういうイメージ。下半身をしっかり使って、昔の方々はね。山本浩二監督や水谷実雄さん。イメージは上半身よりも、腕よりも、やっぱり下半身が一番大事。『下から下から』なんだと」

大会の試合はバックネット裏から見てメモを取る。下野監督も「学生目線まで落として、入ってくれた。選手も魔法にうまくかかっていた」と評した。現役時から寡黙だった。町田コーチは「私の仕事は打つことです」と、いまも口数は多くない。福井市で単身生活し、日々、学生と泥にまみれる。プロで生きてきたヒントを後進に伝えている。

◆町田公二郎(まちだ・こうじろう)1969年(昭44)12月11日、高知県生まれ。明徳義塾高から専大をへて、91年ドラフト1位で広島入団。1年目から1軍で活躍し、00年に13本塁打。05年、阪神に移籍し、06年限りで現役引退。07年から阪神2軍打撃コーチ、11年から広島1軍打撃コーチを歴任した。13年から三菱重工広島で指導し、15年から監督に就き、活動終了の昨季まで務めた。NPBでの代打本塁打20本はセ・リーグ記録。180センチ、86キロ、右投げ右打ち。

◆福井工大の全日本大学野球選手権勝ち上がり

1回戦○11-3北海学園大

2回戦○4-1大商大

準々決勝○17-8名城大

準決勝○2-0福岡大

決勝●2-13慶大