かつての阪神統括スカウトはその日、声を弾ませていた。

「そりゃあ、喜んでいますよ。トップ評価じゃないところから頑張ってくれたわけですから」

青柳晃洋は15年ドラフト5位。岩崎優は13年ドラフト6位。梅野隆太郎は13年ドラフト4位。3人の東京五輪侍ジャパンメンバー入りが内定し、佐野仙好さんは心底うれしそうだった。

大卒組の3人はそれぞれ1年目から台頭している。ただ、その過程は決して一筋縄ではいかなかったのだという。中でも思い出深い選手が青柳だ。

「ドラフトでもギリギリで入ってきた選手。他球団も全然マークしていなかったんじゃないかな」

帝京大時代、青柳には制球とフィールディングに課題を残していた。ドラフト指名に二の足を踏む球団も多い中、当時佐野さんが統括スカウトを任されていた虎は最終的にGOサインを出した。

「1番の理由は、うちにはいないタイプの投手でボールに力があったこと。どちらかというと葛西のように目先を変えられる投手が成功してきた中で、あの腕の位置からあれだけ強いボールを投げられる投手はなかなかいなかったので」

ある試合を視察した際、担当の平塚克洋スカウト、現役時代に下手投げで長年活躍した葛西稔スカウトとも意見交換したそうだ。

「少しだけ治せば、いけるでしょう」

阪神スカウト勢の先見が、未来の侍ジャパン戦士を誕生させることとなった。

一方で、佐野さんは現場への感謝も忘れない。特に印象深いゲームが16年3月5日、ロッテとのオープン戦なのだという。

この試合、2番手で登板したルーキー青柳は1球目から10球連続でストライクが入らず、甲子園をザワつかせていた。それでも金本監督ら当時の首脳陣は我慢強く2イニング目も用意し、3者凡退を奪ったところで降板させた。

「もちろん本人が努力してくれたことが1番ですけど、あそこで続投させてもらえたから、今の青柳があるのだと思います」

佐野さんは昨年12月限りで球団本部顧問も退任し、現在は地元の群馬・高崎市内で古巣の首位快走に胸を躍らせている。

すっかり主戦格となった青柳を思い返した時、何度も何度もバント処理のフィールディング練習を繰り返していた姿が脳裏によみがえる。

「コントロールも本当に良くなって…。本人が必死で練習してくれて、コーチも懸命に手伝ってくれた結果でしょうね」

現在、セ・リーグ防御率1位。あらためて侍戦士となるまでの道のりを振り返ると、変則右腕のマウンドさばきがより味わい深く映る。【佐井陽介】