DeNAが自力クライマックス・シリーズ(CS)進出を復活させた試合で、最後を締めたのは田中健二朗投手(31)だった。9回2死、18年9月16日阪神戦(横浜)以来の1軍公式戦のマウンドに上がった。尋常じゃない量の汗をかきながら、1092日ぶりに阪神原口へ投じた初球は144キロの直球。この日一番の大きな拍手が送られた。四球を与えたが、続く小野寺を134キロのフォークで投ゴロに仕留めた。

拍手を浴びながらベンチへと戻る途中、三浦監督から声をかけられた。「ナイスピッチング。お帰り」。頭を何度も下げながら「ありがとうございます」と答えた。昨年は2軍監督と選手として、リハビリ期間をともにしていた。お互いに興奮状態だった。

試合後、球団を通じて「1軍の舞台に戻ってくることができホッとしています。周りの方々のサポートがなければ、今日を迎えることはできなかったと思うので本当に感謝したいです。これからも自分の持ち味である強気で押すピッチングをしていきたいです」とコメントを出した。

選抜優勝投手の看板を背負い、常葉学園菊川(静岡)から07年の高校生ドラフト1巡目で横浜に入団した。愛知県の新城市の実家は最寄りのコンビニまで車で10分ということから「ハマの田舎」と自称していた。入団当初は、なかなか芽が出なかったが、15年に16ホールドを挙げてブレーク。以後は中継ぎとして欠かせない存在になっていたが、19年に左肘のトミー・ジョン手術を受け、育成契約となり、背番号は「046」に。今年6月にようやく支配下登録に復帰した。

いつしか投手陣では最年長となった。国吉佑樹がロッテに移籍し、DeNAになる以前から所属している現役選手は田中健が唯一になった。2軍ではリハビリ組の手本となっていた。「手術してすぐ肘の可動域が全然ないとき、これ本当に投げられるのかなと思いましたけど、それ以降は絶対無理だとは思わなかったです」。周囲の誰もが努力を見ていた。4勝目を挙げた今永は「健二朗さんが最後を締めてくれたことが価値の高い試合だと感じている。ファームでリハビリしている選手が何人かいますが、彼らにも必ず希望やモチベーションを与える姿だったと思う」と力説した。

父の好正さん(61=会社員)は、次男坊の力投を自宅でテレビ観戦していた。「手術が成功して『死んだつもりで頑張る』と言っていました。母親(15年に47歳で急死した巳路子さん)にいい報告ができる。親としては安心できます。せっかく三浦さんの出世番号の46番をもらった。また46をつけて1軍のマウンドで投げられたのは『46を汚さないように』という思いを感じました」。試合後は、1軍復帰を祝福するラインへの返信に追われていた。

三浦監督は9回2死で登場させる、粋な演出をした。「条件が整えばと思っていた。打線もしっかり得点を重ねて状況をつくってくれたので。最後1アウト、9回とは決めていた」。ベンチから投球を見ると、いろいろな思いがこみ上げた。「よかったですね。現役も一緒にやってますし、手術した後のリハビリもずっと見てきましたからね。本当によかったなと。だいぶ緊張もあったと思うが、しっかり腕も振れていた。スタンドからたくさんファンの声援があったし、いい復帰戦になったかな。これからもっとチームに貢献してもらう」。背番号46の後継者に、今後も登板機会を与えるつもりだ。健二朗の復活ロードは、始まったばかりだ。【斎藤直樹】