関西学生野球の関大・野口智哉内野手(4年=鳴門渦潮)がフルスイングを貫き、17日の同大戦で史上31人目の通算100安打を達成した。残り2安打でリーグ最終戦を迎え、重圧がかかる中で到達。実は前日16日の同カードで首を負傷する大ピンチがあった。「100安打の秘密」を4年間の軌跡とともにクローズアップ。ドラフト2位でオリックスに指名された強打者の心技体に迫った。【取材・構成=酒井俊作】

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朝、目覚めると試合どころではなかった。野口は布団のなかであせった。「ヤバイ…」。体が言うことを聞かなかった。関大の主軸として4年間、奮闘し、この日を迎えていた。通算100安打まで残り2本。17日のリーグ最終戦がラストチャンスだった。万全を期すはずの大勝負なのに、味わったことがないピンチに陥っていた。

「起き上がるのもすごくつらくて…。首が動かないし、回らない。左側を向くのがつらかった。右打者だったら、終わってました」

最後までフルスイングを貫いた代償だった。前日16日の同大戦。強振したとき、刺すような痛みが首に走った。「首の寝違えのひどいバージョンになって…」。一夜明けても回復していなかった。それでも早瀬万豊監督(63)に出場を直訴した。「バットは振れます」。幸い、首は投手方向を向けた。指揮官は野口の思いをくみ、すでに優勝を決めていたこともあり、打席が多く回る1番に置いた。

手負いの野口は腹をくくっていた。「達成せんと恥ずかしい。ダサい」。重圧もある中、自分に言い聞かせた。「自分より練習したヤツはいない。今日、2安打、決められる」。普段からプラス思考。卓越した技術にプライドもある。窮地でも、落ち着いていた。

1回。快音を発した。ライナーが遊撃を襲う。好捕された。「余計、力んでもおかしくない。次の打席に影響してもおかしくない」と感じたのは早瀬監督。だが、野口の心は澄み渡っていた。「あの日は最初から逆方向に打つ意識。狙った方向にいった。これはいけるわと。変な自信がありました」。4回、速球を中前へ。思いは確信に変わった。「打たなヤバイではなく、打てる、もらったと」。空回りするどころか自分との戦いを楽しんでいるようだった。6回、フォークをすくうように左前に運んだ。技で大台に乗せた。

コロナ禍でも野心を持ち続け、いまがある。1年春のデビュー時、胸に「123安打」を刻んだ。「入学して最初の1節目、6本ヒットを打ったときに、この数字を超えてやると。周りに言いませんが、心の中で絶対打つ気持ち」。関学大・田口壮(現オリックス外野守備走塁コーチ)のリーグ通算最多安打記録に照準を合わせた。慢心から1年秋は7キロ太り、不振だった。挫折から立ち直って折り返しの2年間で63安打。新記録ペースで「絶対に超えられる」と手応えがあった。

だが、夢は消えた。新型コロナウイルス感染拡大で3年春のリーグ戦が中止。2カ月間、練習できなかった。「腐らず、しょげることなく、気持ちをリセットできた」。目標は100安打&プロ入り。近くで見てきた早瀬監督も言う。「20試合弱が消えた。もし、できていたら、新記録も夢ではなかった。彼は野球が心底好きで取り組む姿勢も体で表現できていた」。新記録が幻になっても現実を受け止め、最善を尽くした。

自分を見失わず、着実に歩みを重ねた。初球から、豪快に振り切るのが野口らしさだ。だが、あるとき、周りに指摘された。「そんなに思い切り振らなくても、当たれば飛ぶ」。立ち止まって、自分を見つめた。

「その意見はすごく大切にしています。一理ある。でも、自分の癖です。やめられない。自分が振るのをやめたら、不安しか残らない。そのとき、聞かなくてよかったなと思います」

強く振れてバットさばきも柔らかく、強肩の遊撃手だ。そんな姿にほれたのがドラフト指名したオリックスだった。野口はスカウトに言われた。「2本打って決めたのと、打たないでプロに入るのとはまったく違う」。98か、100か。わずか2本のヒットは、心の強さを試していた。かけがえのない勲章をつかんだ。

◆関西学生野球通算安打記録(主な打者)

1位 田口壮(関学大)123安打 オリックス

2位 辰己涼介(立命大)122安打 楽天

6位 二岡智宏(近大)114安打 巨人

13位 小深田大翔(近大)107安打 楽天

18位 小瀬浩之(近大)104安打 オリックス

22位 大津淳(関大)102安打 阪神

29位 片岡篤史(同大)100安打 日本ハム

※野口は史上31人目の通算100安打。通常の4年8季より1季少ない不利な条件で達した。球団はプロ入団時の球団。