日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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その年もっとも活躍した先発完投型の投手に贈られる「沢村賞」は、オリックス山本由伸が受賞した。ただ投手最高峰といわれるステータスも、すべての条件をクリアするのは難しくなっている。

時代の流れと片付けるのは好まないが、9回を投げきったり、投球回を稼ぐ人材は“絶滅危惧種”になってきた。選考する側も悩ましいだろうが、だからこそ沢村賞の権威は保たれるべきだ。

1934年(昭9)の米大リーグ選抜対全日本は「日米大野球戦」と銘打たれた。その舞台で快投を演じたのが弱冠17歳、京都商から出場し、巨人の大エースにのし上がっていく沢村栄治だった。

米国代表はベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらが参加した。1918年に「2桁勝利&2桁本塁打」を達成した元祖二刀流のルースは、大谷翔平の存在によって再び名前が浮かび上がったレジェンドだ。

そのルースから三振を奪った沢村は10年後の44年に戦地におもむき、東シナ海を輸送船で航行中、米潜水艦「シーデビル」による魚雷攻撃に撃沈され、帰らぬ人になった。

日本球界初のノーヒットノーラン、初のMVPに輝く。その栄光に敬意を表した「沢村賞」だが、先発、中継ぎ、抑えの分業制の時代に輩出するのは年々困難になっている。

これも時代の流れというなら、今後は先発だけでなく、専門職として重視されるリリーフがスポットを浴びてもおかしくないという考え方も出てくるかもしれない。

このような状況を踏まえて、沢村賞の選考委員の1人である通算284勝男の山田久志は「稲尾賞」の制定を提言する。「金田正一さんもすごい。でも稲尾和久さん、杉浦忠さんのインパクトも強烈だった」。

西鉄ライオンズで通算276勝(137敗)を記録した稲尾は、58年巨人との日本シリーズで3連敗後の4連投4連勝の奇跡を起こす。「神様、仏様、稲尾様」は伝説になった。

山田は「そのシーズンにもっとも印象が強かった投手を『稲尾賞』として選んではどうだろうか」と問いかける。時代を駆け抜けた先人たちの功績に報いるのは、野球人の務めだろう。【寺尾博和編集委員】(敬称略)