巨人原辰徳監督(63)が11日、神宮球場で行われた故野村克也さんをしのぶ会に参列した。今やリーグ優勝9回、日本一3回と名将に名を連ねる原監督だが、監督としてのキャリアの中で野村氏の存在は大きい。

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原監督 僕とはもう経験もレベルもまったく違うので、胸を借りるという戦いをこちらが挑んでいきながら。胸を借りることができたという、燦然(さんぜん)と輝く先輩ですね。存在感はありましたし、当然、勝負に対する厳しさというのはすごいものがありました。と同時に、オールスターや表彰式でお会いすると、また違った人間らしい温かい一面というものに触れるとですね、その違いというんでしょうか、そういうものは温かく感じ取れました。

野村氏が阪神を指揮した99年からの3年間、巨人で長嶋監督の下で1軍コーチを努めた。野村氏が「王や長嶋がひまわりなら、俺はひっそりと日本海に咲く月見草」と表現するほどの好敵手だった2人が指揮官としてしのぎを削る姿を、目に焼き付けた。

原監督 我々は敵同士という中で、胸を借りたり、あるいは負けて悔しがったり、特に長嶋監督、野村監督というのはお互いが認め合った同士の監督さんで、私はその時、長嶋さんのもとでヘッドコーチ。うまく間に入りながら野村さんと話をさせていただいたというのが非常に記憶に新しいです。

原監督にとって野村氏との忘れられない思い出が生まれたのも、その時代だった。野村氏が阪神監督を辞任した際、原監督は筆を執り、手紙をしたためた。

原監督 私の中でさみしかったので、手紙を書きました。何日後かに、本当に達筆な返事をだしてくださいまして。「戻ってきてください」と私もその願いを伝え、そして楽天というところで監督に戻ってこられた。非常にいい思い出です。

野村氏と同じように「準備」に重きを置き、原監督は9度のリーグ制覇と3度の日本一へと導く指揮官となった。師走の快晴の下、原監督は感謝の思いをかみしめた。

原監督 自分の中でのお別れというのはしたつもりではありましたけど、こうやって神宮球場、皆さんの前で、本当にきちんとお別れができたというのが良かったと思います。ありがたく感じております。