市和歌山のドラフト1位コンビ、DeNA小園健太投手(18)とロッテ松川虎生(こう)捕手(18)が新春対談を行った。

中学時代の大阪・貝塚ヤングから6年間バッテリーを組み、気心を知り尽くした仲。両球団のファンへ、互いのヒミツもちょっとだけ放出。旅立ちの前に笑い合って、突っ込み合った。前後編に分けて2日間でお届けする。【取材・構成=金子真仁、久保賢吾】

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ドラフト会議で同一高校からバッテリーがともに1位指名されるのは、史上初の出来事だった。

小園 僕は最初に指名された時に安心して、その後は虎生が指名されることをずっと考えてたんで、指名された時は本当に、虎生より喜んだと思います。

松川 それは素直にすごくうれしかったです。僕は(1位指名されて)全然状況分からなかったので。

小園 固まってたもんな~(笑い)。

松川 そうやな~。本当にプロに行きたくて2人とも練習をやっていましたし、名前を呼ばれてすごくうれしかったです。健太も最初に選ばれたので、僕の中でもすごくホッとした気持ちがありました。

出会いは中学1年、小園が練習に加わっていた貝塚ヤングの体験会に、松川が1人でやって来た。

小園 第一印象ですか? 今よりもっと丸っこかったんで。髪形もいかつくて怖くて。けっこうそって(横に)流してる感じで…。

松川 (当時の自分の中では)結構カッコ良かったんじゃないかなと。美容室で切ってました。

小園 僕は人見知りが結構激しい方で、なんか怖い人が入ってきたって感じで。いかつかったんで。最初は自分からはあまり話しかけなかったです。

松川 (そんな空気を)めっちゃ感じてましたね。僕からは結構話し掛けるんですけど、あんまり話してくれない印象でした。

内野ノックでともに三塁に入り、少しずつ会話が増えていった。

小園 話しかけられて一番ビックリしたのは、声がめちゃくちゃ高かったんで、ギャップすごいなと。

松川 声変わりは中学2年生くらいでした。

小園 めっちゃ高かったんです。周りの友達よりも。ノックでも虎生が1球は絶対にエラーするんですよ。そういうのを見て、面白いな~と思って。

そこから6年間のバッテリーを組んで史上初の存在に。“夫婦ゲンカ”は?

小園 ないです。虎生が優しいんで。あまり人にキレてるのを見たことがない。本当に優しいです。

松川 小学校の時は結構オラオラだったんですけど、なんか、そうっすね、あんまりオラオラでもいいことないんで(笑い)。

小園 ちっちゃい時の写真見せてもらったら、あれですね、ボスみたいな。

松川 10人くらいで遊んでました。サッカーとか。

6年間。野球も青春も共有してきた。

小園 高校野球を引退して、夏に2人で宮崎に行ったのが一番の思い出です。母方のおばあちゃんが虎生にすごく会いたがって。

松川 野球が終わってリフレッシュしたくて。

小園 知り合いに漁師さんがいるので、1日目はマグロをもらって食べて。2日目は地鶏を家で。青島海岸に行ったり、ブドウ狩りもしましたね。

互いを知り尽くした2人。新天地のファンに、それぞれの魅力を伝えた。

小園 結構フレンドリーで社交的な男ですね。虫が嫌いなんで、虫を持って追い掛けない方がいいです。

松川 ファンの方は虫持って追い掛けてこんやろ。

小園 セミを持って追い掛けると、なんかウワーって言って、めっちゃダッシュで逃げます。めちゃくちゃ速いですよ。野球してる時より速いです。

松川 怖いですね。虫はだいたい嫌いです。大丈夫な虫ですか? ダンゴムシくらいは…。健太は状況を見ながらしゃべりに行ってほしいっす(笑い)。アニメとか漫画とか好きです。(話すコツは)嫌がられてもどんどん行くっす。あと、結構チョケてますね。めちゃくちゃオモロイですよ。

小園 お前何言うてんねん! 虎生は結構甘えん坊ですね。本当に人が好きで。あとパパ、ママって中学途中まで呼んでました。

松川 (目を見開き)!!

小園 大声で呼んでましたね。このガタイで? みたいな感じで。

松川 …痛いですね(苦笑い)。

(後編へつづく)

◆小園健太(こぞの・けんた)2003年(平15)4月9日、大阪・貝塚市生まれ。貝塚一中では貝塚ヤングに所属し、ロッテ松川らと全国制覇。市和歌山では1年春からベンチ入り。直球の最速は152キロ。DeNAでは三浦監督から背番号18を継承した。185センチ、90キロ。右投げ右打ち。

◆松川虎生(まつかわ・こう)2003年(平15)10月20日、大阪・阪南市生まれ。鳥取東中では貝塚ヤングに所属し、DeNA小園らと全国制覇。高校通算43本塁打のパワーに、遠投110メートルの強肩も誇る。ロッテでの背番号は2。好物は焼き肉。178センチ、98キロ。右投げ右打ち。