巨人の将来のエース候補がデビュー戦で初勝利を手にした。堀田賢慎投手(20)がヤクルト戦でプロ初登板初先発。昨季の日本一チームを相手に4つの併殺打を奪うなど、粘り強い投球で6回5安打無失点で、カード3連勝に貢献した。プロ入り直後に右肘のトミー・ジョン手術を受けるなど苦難の野球人生を歩んできた19年ドラフト1位が、プロ3年目にして確かな第1歩を刻んだ。

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堀田が右拳をグッと握ってほえた。「よっしゃ!」。3点リードの6回2死一、三塁、ピンチにも動じない。ヤクルト山田をチェンジアップで空振り三振に仕留めた。「気持ちが入った部分だった。三振で打ち取れたのはすごい大きかった」と封じ込めた。6回で4度の併殺と押し寄せるピンチの芽を摘んだ。

何度も壁をぶち破ってきた。青森山田時代、県内のライバル八戸学院光星に何度もやられた。2年時は春夏秋と3季連続コールド負け。2年秋には5回17失点、3回に打者2巡で13失点という悪夢の大敗を喫した。「マジで終わらなくて。打たれて打たれて打たれて…。悔しいとかを通り越していた。衝撃的だった」と脳裏に刻む。味方のエラーも重なり「捕れたじゃん」。17歳は、他人のせいにした。

数カ月が経過した2年冬、落ち着きを取り戻して、気付いた。「単なる力不足だった。打たれないように抑えればいい」とダメな自分を受け入れられた。自然と意識が変化。地元・岩手の両親に頼む仕送りの中身が、大好きな「蒲焼きさん太郎」などの菓子や炭酸ジュースから、プロテインと体作り用の餅になった。

入団直後の壁も乗り越えた。トミー・ジョン手術からのリハビリ。5、6回と繰り返される痛みの波を耐え切った。期待を背負ったドラ1右腕だけに、同学年のロッテ佐々木朗、ヤクルト奥川らと比較された。SNSでの批判も目に入った。「覚悟はしてました。でも仕方ないものは仕方ない。やれることをやるだけ」と割り切った。

3年目で初の公式戦登板。やっとプロ野球選手になれた。「うれしさをかみしめながら投球ができました。勝ちでスタートを切れたのは良かったと思いますけど、これから結果を残していかないと。勉強しながら頑張っていきたい」と高みを目指す。雨がぱらつく神宮から、堀田伝説が始まった。【小早川宗一郎】

◆堀田賢慎(ほった・けんしん)2001年(平13)5月21日、岩手県花巻市生まれ。花巻北中時代は花巻リトルシニアに所属。青森山田では2年秋から主力。甲子園出場なし。19年ドラフト1位で巨人入団。20年4月に右肘靱帯(じんたい)再建術を受け、オフに育成契約。21年8月に実戦復帰。今年3月11日に支配下選手契約。186センチ、85キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸580万円。

▽巨人原監督(堀田について)「ツキもあったようにも見えるし、粘り強く放ったというところが勝ちに結び付いたのかな。反省するところはあるでしょうけれども今日は勝ち星がついたところと0点で抑えたところが彼にとってもチームにとっても非常に大きなこと。彼の場合20年ぐらい現役続くだろうから、かなり厳しい(日々を過ごして)今日まで来たのは、ステップ材料にしてもらいたいね」

▽巨人大城(堀田のリードについて)「ストレートを軸に組み立てていきました。初登板でしたし、コースや際を狙い過ぎないように、大胆にいきながら粘りのピッチングができるようにと考えて、その通りのピッチングをしてくれました」