亜大の俊足男、田中幹也内野手(4年=東海大菅生)が6盗塁を決め、92年春に日大・真中満(元ヤクルト監督)が記録したリーグの1試合最多記録に並んだ。2打数2安打3四球と全打席で出塁。3回には二盗に加え、ダブルスチールの本盗で生還した。チームも12盗塁を決め、1試合のリーグ最多記録を更新。国学院大に快勝し、勝ち点2を挙げ単独首位に立った。駒大は日大に、中大は延長10回、タイブレークで青学大に勝利し、それぞれ勝ち点を挙げた。

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縦横無尽に走り回った。田中幹は3回に四球で出塁すると、まず二盗を決めた。次打者の安打で三塁に進み、一塁走者との重盗を敢行。捕手が二塁に送球する間に本塁を陥れた。ベンチでは生田勉監督(55)から「(盗塁記録に)チャレンジしよう」と声をかけられ、気持ちが入った。「考えたらダメ。割り切っていきました」。4回に二盗、6回に二盗と三盗(重盗)を決めると、右前打で出塁した8回にも二盗を決めた。

「度胸」が持ち味だ。身長166センチ、66キロで50メートル5秒9の俊足。小柄な体ですばしっこく駆け回り、東海大菅生での愛称は「サル」。読みは抜群で「盗塁は度胸。投手が投げた瞬間いけると思えば走る」と果敢にスタートを切る。日本ハム坂本スカウトは「野性味あふれる選手。これは教えてできることではない」と絶賛。本人は「(記録更新の)7ついきたかったんですが。ホッとしています」と笑った。

大病を克服し「野球が楽しい」と心から言える。昨夏、キャンプ中にスズメバチに刺され、病院で検査を受けたところ、潰瘍性大腸炎が判明した。その後1カ月、秋には手術を受け2カ月の入院。11キロも痩せて体重は55キロとなり、体力も落ちた。昨秋リーグ戦は2打席の出場のみ。「チームに貢献できなくて悔しかった」。少しずつ練習量を増やし、2月下旬に本格的に復帰。「今はグラウンドに立てることがありがたい」と喜びをかみしめた。

入院中は、チームメートから「早く帰ってこいよ」と書かれた色紙が届いた。毎日のようにビデオ通話で励まされた。「人生で一番いい仲間。一緒に優勝したい」。田中幹は、チームメートへの感謝を胸に、走り続ける。【保坂淑子】

◆大学の盗塁記録 東都大学の1試合個人最多は真中満(日大)が92年春の亜大戦で記録した6盗塁。チームの1試合最多は亜大が16年秋、国学院大戦で決めた11盗塁だった。シーズン個人最多は野村謙二郎(駒大)が87年春に18盗塁を記録している。通算最多も野村で52盗塁。東京6大学の1試合個人最多は92年春、笠尾幸広(法大)が立大戦で6盗塁を決めた。チーム1試合最多は明大、早大が持つ13盗塁。シーズンの個人最多と通算最多は小林宏(慶大)が持ち、16盗塁、62盗塁になる。

◆潰瘍性大腸炎 国が定めた「指定難病」の1つ。大腸の粘膜に炎症が起きて潰瘍などができる病気で、腹痛、下痢などの症状がある。症状が出る活動期と、症状を感じない寛解期を慢性的に繰り返す。原因は分かっていないが、免疫異常が関係しているとみられている。球界ではオリックス安達がこの病と闘いながらプレー。安倍晋三元首相は持病として抱えている。

◆田中幹也(たなか・みきや)2000年(平12)11月28日生まれ、神奈川県出身。東海大菅生では2年夏の甲子園に出場し背番号6で4強入りに貢献。亜大では1年春から正二塁手。19年大学ジャパン入り。21年春二塁のベストナインを獲得。166センチ、66キロ。右投げ右打ち。