プロ野球前コミッショナーで弁護士の熊崎勝彦氏が5月13日、心不全のため亡くなった。80歳だった。

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元東京地検特捜部長、元最高検察庁検事、リクルート事件を担当、「落としの熊崎」の異名…。どんな人かと恐れるような肩書が並ぶが、野球の話が大好きなコミッショナーだった。

毎年2月の12球団のキャンプ回り。練習視察の際には、ネクタイを必ず球団カラーに合わせて訪問した。午前中が阪神なら黄色、午後に楽天に回るならエンジに締め直した。岐阜県出身でもともとは中日ファン。当時の落合監督と、ネット裏の控室にこもり、何時間も野球談議を交わしたこともあった。

幼少時、石ころに糸を巻いてカチカチの“ボール”をつくり、棒切れのバットを持って田んぼを走り回ったのが原風景。野球賭博問題が起きた直後、16年1月の新人研修では12球団の全ルーキーを前にマイクもいらないほどの声を張り上げた。「好きな野球ができなくなる。分かりますか? 強く、強く自覚していただきたい」。球界が直面した危機を、緊張感を持って浄化した。

平日の昼は、NPB事務局内の記者席に自ら顔を出し、30分以上話し込んでいくこともあった。17年11月のコミッショナー退任後も、年に1回、春季キャンプ前に当時の担当記者と食事会を開いてくれた。

話題はもっぱら野球。コロナ禍前の時代。1人で現れ、別れ際には分厚い手で1人1人とがっちりと握手を交わした。記者席の立ち話でも、食事会の時も、いつも最後には、今度は球場でビールを飲みながら野球を見ようと盛り上がった。「横浜スタジアムか神宮球場。春になったら、外野席で。気持ちいいぞ」。約束は果たせなかった。【元NPB担当・前田祐輔】

◆熊崎勝彦(くまざき・かつひこ)1942年(昭17)1月24日、岐阜県生まれ。65年明大法学部卒業。72年検事任官。96年東京地検特捜部長。99年最高検察庁検事、04年同公安部長。同年9月の退官まで「落としの熊崎」の異名でリクルート事件、金丸信自民党副総裁(当時)の巨額脱税事件などに携わる。05年からプロ野球のコンプライアンス担当のコミッショナー顧問。14年1月コミッショナー就任。