13度目の挑戦で成し遂げられた東北勢初優勝。秋田市内の自宅でテレビ観戦した信太(しだ)聡一さん(88)は「やったよと伝えたい」と、父親への思いを口にした。父の貞(さだか)さんは1915年(大4)の第1回大会に出場した秋田中(現秋田高)の一塁手だった。京都二中(現鳥羽)との決勝は延長13回サヨナラ負け。貞さんの失策が決勝点になった。48年に51歳で亡くなったが、息子に野球の話をすることはなかった。あのサヨナラ負けから107年。ついに東北の学校が優勝した。聡一さんは「東北にとって明るいニュースですね。大谷投手ら岩手もいい投手が出てきて、いずれ、こういうことがあるかなと思ってました」と喜びつつ、本音も口にした。「本当は秋田に勝って欲しかった。おやじも、向こうで『今度こそ、秋田が』と思ってるんじゃないですか」と優しい声で話した。