就任間もないロッテ吉井理人監督(57)が、10月31日までに日刊スポーツの単独インタビューに応じた。選手や指導者として、今季は背広組のコーディネーター職として、日米で多くの学びを得てきた新指揮官は「教えすぎず、気付かせる」がモットー。大学院で専攻したコーチング理論を生かし、選手が主体的に試合の流れをつかみ取れる常勝軍団の構築へ。日本シリーズも終わり、1年後には“ワシ流”で笑う。【取材・構成=金子真仁】

   ◇   ◇   ◇

吉井監督は就任早々、しゃべりも快調だ。藤原4番構想の理由の1つが「男前やし」。成長株の山本を「ダイナマイト山本」と命名し、リラックス時は一人称が「ワシ」になる。ワシは時代劇の影響だという。

佐々木朗のプロ初ブルペンでも「機嫌良く投げてくれたのが一番」と感想を話した。ストレスのない言葉選びが個性的だ。自身の歩みも背景にある。

「小中学校も高校も、プロでも、振り返るとガミガミ言われた記憶がないので。自分がはねのけてた可能性もあるんですけど。割と…、割とじゃないですね、思いっきりいい指導者に当たったかなと」

好きなように野球を表現し、自分が指導者の立場になってから気が付いた。

「ほったらかされたので、自分で考えて何でもできるようになったなと。でも、それって大事だなって、コーチになって勉強して気付いた感じです」

14年、50歳手前にして筑波大大学院に入学し、コーチング理論を専攻した。学びの結論は、後の自著「最高のコーチは、教えない。」の題に象徴される。現在では佐々木朗らの育成にも反映されている。

「コーチングの概念が広がるのはすごくいいこと。プロ野球界が一番遅れていると思うんでね。プロは結果が全てなんで。コーチがガーッて言ってやらすほうが手っ取り早いんですよ。でも長続きしないので、そういう方針っていうのは。瞬間の成果は出るんですよ。だけど、選手のモチベーションをそれで保つのはすごく難しくって」

コーチ時代、先発投手とは登板翌日にひざを突き合わせた。しゃべらせ、気付かせる。自発的に動かす。監督就任後、フェニックスリーグで青空反省会を始めた。選手同士、同じ目線で議論させる。

「ゲームの流れを読みながら、自分に何ができるか、そういうところを考えられる選手がたくさん出ていかないといけない。指示したとしても、選手は急には準備できないんで」

自身も学ぶ。今、ルールブックが愛読書だ。

「読んでたら、あぁあのことかって、審判に言われた時に思い出すと思うんで。分かんなかったら、いつまでたっても(審判に)食い下がって恥かく時あるじゃないですか」

日本シリーズ中継は両監督の表情を眺め、感情移入して采配を想像した。戦力構想はまだ先の話だ。

「1回いろいろなことを壊してから作っていこうと思っているので。まだ今、考え中です」

ダイナマイト山本らに起爆剤を求めつつ、監督自身もチームの空気を変える。思いの発信に、自身のブログ更新も続ける。締めの一文「ほな、また。」がロッテファンに人気だ。

「締めは型があったほうがやりやすいじゃないですか」

締め-。最後のアウトを奪う難しさを、監督就任後に何度か口にした。今季はクローザーの益田直也投手(33)が苦しんだ。和歌山出身の後輩でもある。

「経験もあるし、やり返してやるぞという気持ちもあると思うんでね。来年は勝負してもらいたいなと思います」

ワシ流監督は何秒か置いてから「いい場面では、投げてもらいたいと思っています」とほほ笑んだ。

◆吉井理人(よしい・まさと)1965年(昭40)4月20日、和歌山県生まれ。箕島から83年ドラフト2位で近鉄入団。88年に最優秀救援投手。95年にトレードでヤクルトへ移籍、97年オフにFAでメッツ入団。ロッキーズ、エクスポズを経てオリックスで日本球界に復帰し、07年途中にロッテに移籍し同年引退。日米通算121勝129敗62セーブ。競走馬も所有している。右投げ右打ち。

 

○…吉井監督は佐々木朗の育成計画にも深く携わる。20試合に登板したプロ3年目の今季は完全試合を達成し、前半戦だけで160キロ以上を300球以上投げた。肉体の成長について「もう少し。まだ骨の成長も止まっていないようなので。もうちょっと慎重にやっていきたい」と説明。就任会見で来季の25試合登板を求めたが「まず、プロ野球で1年間やっていく体力を。特に回復力のところが一流投手と比べると劣っているので。細かいのはいっぱいあるけど、一番大きいのはそこ」と課題を挙げた。

【関連記事】ロッテニュース一覧