日本人唯一となる日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した上原浩治氏(47)と、日米通算245セーブを挙げた藤川球児氏(42)が日本プロ野球名球会入りすることが5日、分かった。投手の入会規定「200勝または250セーブ」には達していないが、規定相当の記録であるとして、9日の総会で特例入会制度での入会が認められる見通しとなっている。

    ◇    ◇    ◇

上原、藤川両氏がレジェンドの仲間入りをする。上原氏の100勝100セーブ100ホールドは日本人唯一の記録であり、その価値は極めて高い。藤川氏は通算245セーブに加え、61勝164ホールドを挙げた。不足分の5セーブを補ってあまりある。両氏とも、9日に行われる名球会の総会で入会が認められる見通しとなった。

記録が規定に満たなくても、名球会入りの道は開かれている。現在、名球会の会員は63人が名を連ねるが、野手48人に対し、投手は15人に限られる。16年に通算200勝に達した広島黒田が最後で、この10年でもその1人だけ。同じこの10年で日米通算2000安打に達し、15人も入会した野手との差は顕著だ。

背景には投手の分業制が進んだことが挙げられる。従来の200勝のハードルは名球会創設時と比べ、かなり高くなった。また、エンゼルス大谷のように投打二刀流で活躍する選手も生まれており、新たな規定の必要性が指摘されてきた。そこで、19年の総会で特例入会制度が定められた。「名球会の入会規定に相当する記録保持者」を対象に、理事会で候補者を協議。総会で会員の4分の3以上の賛成を得て適用される。上原氏、藤川氏の記録は規定相当として認められる公算が大きい。

19年に上原氏が現役を引退した際、カブス・ダルビッシュ(現パドレス)は「誰もやったことのない100勝、100セーブ、100ホールドを成し遂げたのはすごいこと。名球会入りを本当にちゃんと考えてほしい」と訴えていた。時代によって変化するプレー環境も考慮した上で、選手の功績を正当にたたえる。上原氏と藤川氏の名球会入りは、現役選手たちにとっても大きな意味を持つ。

◆名球会 正式名称は「日本プロ野球名球会」。英語名は「Golden Players Club」。ユニホームの胸につけた「GPC」は頭文字。青少年の健全育成と社会還元を目的に、78年7月24日創設。昭和生まれ以降のプロ野球選手とOBで構成し、入会資格は日米通算で投手なら200勝または250セーブ、打者なら2000安打以上。近年は東日本大震災の被災者支援など、幅広い社会貢献活動に乗り出している。顧問は長嶋茂雄氏、王貞治氏。理事長は山本浩二氏。

◆上原浩治(うえはら・こうじ)1975年(昭50)4月3日、大阪府生まれ。東海大仰星-大体大を経て98年ドラフト1位で巨人入団。1年目に最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、新人王。02年は17勝で2度目の沢村賞に輝き日本一。08年オフにFAでオリオールズ移籍。レッドソックス時代の13年には抑えでワールドシリーズ制覇。大リーグ4球団でプレー後、巨人復帰。18年には日本人初の日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成。04年アテネ五輪、06年WBC、08年北京五輪日本代表。右投げ。

◆藤川球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年(昭55)7月21日、高知県生まれ。高知商2年夏に甲子園出場。98年ドラフト1位で阪神入団。05年、ウィリアムス、久保田との救援トリオ「JFK」の中核を担いリーグ優勝に貢献。06年途中から抑えを務め、07年の46セーブはセ・リーグ最多タイ。12年オフにFAでカブス移籍。15年にレンジャーズへ移籍し、5月に自由契約となった後は独立リーグ四国IL・高知に加入。16年阪神復帰。NPB通算243セーブは歴代4位。06、09年WBC、08年北京五輪日本代表。右投げ。