長らく南海(現ソフトバンク)の主砲として活躍し、プロ野球史上3位の通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなったことが24日、分かった。74歳だった。 170センチの小柄な体をフルに使った豪快な打撃で、球史に大きな足跡を残した。本塁打の飛距離のみならず、打ち損じた内野フライの高さまでもファンを魅了した。

現役時代からの活躍を写真で振り返ります。


88年10月、西武戦で本塁打を放つ門田
88年10月、西武戦で本塁打を放つ門田

「不惑の大砲」門田博光さん死去 74歳 フルスイングこだわりプロ歴代3位通算567本塁打

70年~88年 南海時代

74年、ベンチ内で野村克也(左)の話を聞く門田
74年、ベンチ内で野村克也(左)の話を聞く門田
79年2月、南海春季キャンプでアキレス腱断裂の怪我を負った門田
79年2月、南海春季キャンプでアキレス腱断裂の怪我を負った門田
81年11月、日刊スポーツ年間三賞の表彰 前列左から原辰徳、石毛宏典、後列左から山本浩二、江川卓、江夏豊、福本豊、門田博光
81年11月、日刊スポーツ年間三賞の表彰 前列左から原辰徳、石毛宏典、後列左から山本浩二、江川卓、江夏豊、福本豊、門田博光
86年10月2日、通算400号本塁打を放つ門田
86年10月2日、通算400号本塁打を放つ門田
87年8月26日、2000本安打を達成し祝福の花束を受ける
87年8月26日、2000本安打を達成し祝福の花束を受ける
1988年8月19日、元気いっぱいに三塁をまわる門田
1988年8月19日、元気いっぱいに三塁をまわる門田
88年10月3日、40号本塁打を放った門田
88年10月3日、40号本塁打を放った門田
南海時代の門田
南海時代の門田
88年7月オールスター (右から)南海門田博光、西武平野謙、南海佐々木誠、ロッテ高沢秀昭、近鉄新井宏昌、近鉄オグリビー
88年7月オールスター (右から)南海門田博光、西武平野謙、南海佐々木誠、ロッテ高沢秀昭、近鉄新井宏昌、近鉄オグリビー
88年、本紙評論家の山田久志氏(左)との新春対談で笑顔を見せる門田
88年、本紙評論家の山田久志氏(左)との新春対談で笑顔を見せる門田

【悼む】門田博光死去に山田久志氏「兆治に続いてカドやんまで」どこまでも駆け引きなし直球勝負

89年~90年 オリックス時代

89年1月、奈良県大和郡山市の本庵寺で厄払いの祈とうをうける門田
89年1月、奈良県大和郡山市の本庵寺で厄払いの祈とうをうける門田
89年9月、ダイエー対オリックス 3回裏オリックス2死、左越え本塁打を放った門田さん(左)はブーマーとハイタッチをした際に右肩を捻挫し険しい表情を見せる
89年9月、ダイエー対オリックス 3回裏オリックス2死、左越え本塁打を放った門田さん(左)はブーマーとハイタッチをした際に右肩を捻挫し険しい表情を見せる
89年9月、ダイエー対オリックス 3回裏オリックス2死、左越え本塁打を放った門田さん(左)はブーマーとハイタッチをした際に右肩を捻挫し険しい表情を見せる
89年9月、ダイエー対オリックス 3回裏オリックス2死、左越え本塁打を放った門田さん(左)はブーマーとハイタッチをした際に右肩を捻挫し険しい表情を見せる
1989年8月15日、プロ通算500本塁打を放つ門田
1989年8月15日、プロ通算500本塁打を放つ門田
89年8月、プロ通算500本塁打を放ったオリックス門田を祝福
89年8月、プロ通算500本塁打を放ったオリックス門田を祝福
90年9月、サヨナラ満塁本塁打を放ちナインに迎えられる門田
90年9月、サヨナラ満塁本塁打を放ちナインに迎えられる門田
90年8月、山本浩二の歴代記録を抜く通算537号本塁打を放つ門田
90年8月、山本浩二の歴代記録を抜く通算537号本塁打を放つ門田
90年、氷点下のゴルフ場で自主トレを開始した門田さん
90年、氷点下のゴルフ場で自主トレを開始した門田さん

野茂英雄に初本塁打浴びせた門田博光さん 最後のライバルと狙い定め、半年がかりで実らせた哲学

91年~92年 ダイエー時代

91年5月、4500塁打を達成し、ファンの声援にヘルメットを取って応える門田。右は清原和博
91年5月、4500塁打を達成し、ファンの声援にヘルメットを取って応える門田。右は清原和博
92年4月、ダイエー時代の門田の打撃フォーム
92年4月、ダイエー時代の門田の打撃フォーム
91年9月、2500試合出場をし花束を受けるダイエー門田
91年9月、2500試合出場をし花束を受けるダイエー門田
91年9月、オリックス戦で通算2500試合出場した門田
91年9月、オリックス戦で通算2500試合出場した門田
92年10月ダイエー対近鉄、最終打席を終え、「23年間ありがとう」の花輪を受けスタンドのファンにあいさつする門田
92年10月ダイエー対近鉄、最終打席を終え、「23年間ありがとう」の花輪を受けスタンドのファンにあいさつする門田

【悼む】野球のロマン体現した門田博光氏、引退後不遇に見舞われても捨てなかった指導者の夢

92年引退、その後

13年8月ソフトバンク対楽天 レジェンドホークスに選出され始球式で打席に立つ野村克也氏(右)と門田博光氏
13年8月ソフトバンク対楽天 レジェンドホークスに選出され始球式で打席に立つ野村克也氏(右)と門田博光氏
13年8月ソフトバンク対楽天 レジェンドホークスのセレモニーを前に談笑する、左から王球団会長、門田氏、野村氏
13年8月ソフトバンク対楽天 レジェンドホークスのセレモニーを前に談笑する、左から王球団会長、門田氏、野村氏
06年1月、野球殿堂入り会見で喜びを語る門田氏
06年1月、野球殿堂入り会見で喜びを語る門田氏

死去の門田博光さん 79年アキレス腱断裂で1発狙い徹底、89年ブーマーとハイタッチし肩脱臼

門田さんの主な記録

【イラスト】プロ野球の主な通算記録上位
【イラスト】プロ野球の主な通算記録上位
【イラスト】門田氏が多くの本塁打を打った投手
【イラスト】門田氏が多くの本塁打を打った投手
【イラスト】40歳以上通算本塁打
【イラスト】40歳以上通算本塁打

門田さんは歴代3位 通算通算本塁打50傑一覧


◆門田博光(かどた・ひろみつ) 1948年(昭23)2月26日生まれ、奈良県出身。天理高からクラレ岡山を経て69年ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)入団。2年目の71年に120打点で初タイトルを獲得した。79年の公式戦前に右アキレス腱(けん)を断裂したが、翌年41本塁打を放ち復活。81年には44本塁打で初の本塁打王となった。88年に40歳で44本塁打、125打点の2冠となり、最年長MVPに。89年オリックスに移籍。91年ダイエーに移り92年に引退した。通算567本塁打は史上3位。06年野球殿堂入り。現役時代は170センチ、81キロ。左投げ左打ち。