長らく南海(現ソフトバンク)の主砲として活躍し、プロ野球史上3位の通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなったことが24日、分かった。74歳だった。

170センチの小柄な体をフルに使った豪快な打撃で、球史に大きな足跡を残した。本塁打の飛距離のみならず、打ち損じた内野フライの高さまでもファンを魅了した。奈良・天理時代は本塁打なし。社会人野球のクラレ岡山に進み、68年ドラフト12位で阪急(現オリックス)の指名を受けたが入団を辞退。69年2位で南海に指名され入団した。

2年目の71年には、120打点で初のタイトルを獲得。同年から8年連続で規定打席に到達し、南海の看板選手に成長する。野村克也選手兼任監督と重量クリーンアップを形成し、南海としては最後のパ・リーグ優勝となった73年も3割1分、18本塁打と存在感を示した。

77年限りで野村監督が退任し、チームは急激に弱体化する。そして79年の高知・大方キャンプでの練習中に右のアキレス腱(けん)を断裂し、選手生命の危機に陥った。現役引退も頭をよぎったが、発想を転換。「ホームランなら走らずに済む」と頭を切り替え、長打狙いを徹底した。同年の終盤に戦列復帰し、19試合で2本塁打を記録する。翌年80年の開幕戦で本塁打を放ち波に乗る。同年41本塁打と完全復活。81年は44本塁打、83年も40本塁打でキングとなるなど、球界を代表する強打者となった。

満40歳で迎えた88年は44本塁打、125打点で2冠を達成。40歳での本塁打王、打点王は現在もともにプロ野球最年長だ。「不惑の大砲」は流行語にまでなり、球界の枠を超えた社会現象を巻き起こした。ところが、同年限りで南海はダイエーに球団を売却。関西での生活を希望し、同じオフに阪急から球団を買収したオリックスへと移籍した。

41歳となった89年にも33本塁打と健在ぶりを見せつけ、ブーマー、石嶺和彦、藤井康雄らとブルーサンダー打線の中核を担う。チームも西武、近鉄と激烈な首位争いを見せたが、門田は同僚ブーマーとハイタッチした際に肩を脱臼というアクシデントに見舞われ、これがV逸の遠因となってしまった。

翌年90年も42歳でありながら、31本塁打を放つ。このオフ球団へ申し出て、福岡へ移転していたダイエーへの移籍を決めた。退団会見では、残り少ない現役生活を「枯れ木の美樹(びぎ)になりたい」と独特な言い回しで心境を表した。

91年にも112試合に出場し、史上2位タイの43歳での規定打席に到達。44歳となった92年5月20日ロッテ戦では、史上最高齢となる44歳2カ月での1試合2本塁打を放った。同年限りでの引退を決意。プロ最終戦は同年10月1日近鉄戦(平和台)で、「3番・DH」で出場。野茂英雄から、3球三振で終わった。

ホームランを愛し、全打席で徹底してフルスイングを貫いた。入団1年目、70年の大阪球場での巨人とのオープン戦。風呂に入っていた門田氏を、マネジャーが呼びに来た。慌ててグラウンドに戻ってみると、野村克也兼任監督と王貞治選手がいた。野村監督は王選手に「この門田っちゅうやつは大振りばかりして困るんや。王さん、ホームランを狙ってるの?」と話を振った。王選手は「いや、狙っていませんよ。野村さんは狙ってるの?」と反問した。そして門田氏に「ヒットの延長がホームランになるんだよ」と諭した。これに22歳の若武者は猛反発。「監督はずるい。王さんと口裏を合わせたでしょう。2人ともホームランを狙っているはずや」。野村監督は「お前には二度と教えてやらん」と怒り、王選手は「とんでもない新人が入ってきたね」と嘆いた。寂しそうに三塁側ベンチに引き上げる王選手の背番号1を眺めながら、門田氏は「おれが引退するころには、通算本塁打数でこの2人の間に入るか、悪くても3番目になってやる」と心に決めたという。

対立を深めながらも、門田氏と野村氏はお互いに野球理論と素質を認め合っていた。右打者の野村氏がスイングすると、大阪球場一塁側ベンチ洗面台の鏡に左右反転した野村氏のフォームが映る。左打者の門田氏は、素知らぬ顔で凝視し、自らの打撃に採り入れた。後に野村氏から江本孟紀、江夏豊両投手と並び「南海の三悪人」と称された。だが最後には「門田ほど徹底して打撃を追究する野球バカは、もう二度と出てこんやろうなあ」と認められたことはうれしかったという。

引退直後は野球評論家として活動。近年は体調を崩し、20年2月11日に野村克也氏が死去した知らせも、人工透析を受けていた兵庫県内の病院で受けたという。

◆門田博光(かどた・ひろみつ) 1948年(昭23)2月26日生まれ、奈良県出身。天理高からクラレ岡山を経て69年ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)入団。2年目の71年に120打点で初タイトルを獲得した。79年の公式戦前に右アキレス腱(けん)を断裂したが、翌年41本塁打を放ち復活。81年には44本塁打で初の本塁打王となった。88年に40歳で44本塁打、125打点の2冠となり、最年長MVPに。89年オリックスに移籍。91年ダイエーに移り92年に引退した。通算567本塁打は史上3位。06年野球殿堂入り。現役時代は170センチ、81キロ。左投げ左打ち。

【写真特集】門田博光さん死去、74歳 歴代3位567本塁打 南海、オリックス、ダイエーで活躍