南海、オリックス、ダイエー(現ソフトバンク)でプロ野球史上3位の通算567本塁打を放った門田博光氏が亡くなった。74歳だった。170センチの小柄な体をフルに使った豪快な打撃で、球史に大きな足跡を残した。88年には40歳にして、44本塁打、125打点で2冠を獲得。「不惑の大砲」として愛された名打者に、人生のゲームセットが訪れた。

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◆生まれ 1948年(昭23)2月26日、山口県小野田市(現山陽小野田市)。

◆甲子園 天理3年夏に出場も、1回戦で丸子実に1-3と逆転負け。高校では本塁打を1本も打てなかった。

◆阪急を拒否 クラレ岡山在籍中の68年ドラフト12位で阪急の指名を受けたが入団を辞退。

◆南海入り 69年にドラフトで南海から2位で指名され、今度は入団。背番号は27。

◆2年目に開花 71年には129試合に出場し、120打点で初のタイトル獲得。打率3割、31本塁打とリーグを代表する選手となった。

◆唯一の優勝 パ・リーグが2シーズン制を採用した初年度の73年には、前期優勝しプレーオフ進出。後期優勝の阪急を倒し自身唯一のリーグ優勝を飾る。

◆アキレス腱(けん)断裂 79年2月のキャンプ中に右アキレス腱を断裂。選手生命の危機に立たされる。「走らなくてもいいように」と本塁打狙いに徹することを誓う。

◆復活 背番号を44に変え、80年の開幕戦では広瀬叔功監督に「1試合4打席下さい」と直訴。いきなり本塁打を放った。同年41本塁打と見事に復活し、カムバック賞に輝く。

◆月間16本塁打 81年7月には、当時のプロ野球記録の月間16本塁打を記録。球宴休みがあるため他の月より試合数が少ない中で同月31日、西武戦での満塁本塁打で決めた。

◆初キング 同年44本塁打で初の本塁打王に輝く。アキレス腱断裂から完全復活を果たした。

◆背番号「60」で2度目の本塁打王 83年に「年間60本塁打を放つ」との意気込みで、主力選手では異色の背番号60をつける。40本塁打で2度目のキングを獲得。

◆不惑の大砲 40歳で迎えた88年には、44本塁打、125打点で2冠を獲得。チームは5位ながら、現在もプロ野球最年長のMVPとなる。

◆オリックス移籍 同年オフに南海がダイエーに球団を譲渡し福岡へ移転したが、関西残留を希望。阪急を買収したオリックスへトレードで移籍した。

◆ブルーサンダー打線 移籍1年目の89年はブーマー、石嶺、藤井らと強力打線を形成。序盤戦は首位を独走する。

◆脱臼V逸 同年9月25日ダイエー戦で本塁打し、ベンチ前でブーマーとハイタッチした際に右肩を脱臼。これを境にチームも失速し、近鉄に優勝を譲る遠因となった。

◆野茂にプロの洗礼 近鉄の黄金ルーキー野茂に、プロ初の本塁打を浴びせようと決意。ビデオで徹底研究し、癖を発見。90年4月18日の2回に、初球を右翼席に運んだ。

◆逆転満塁サヨナラ弾 90年9月9日西武戦で、鹿取から逆転満塁サヨナラ本塁打。上田利治監督に通算1000勝を贈った。翌10日西武戦で、2試合連続サヨナラ本塁打。

◆ホークス復帰 オリックスに同年限りでの退団を申し出て、自由契約に。福岡へ転居し、ダイエーへ移籍した。3年ぶりの古巣復帰。

◆44歳で引退 92年シーズン限りでの引退を決意した。最後の試合となった10月1日近鉄戦で、最後の投手は因縁の野茂。最終打席は、豪快な空振り三振だった。会見では「何もかもやり尽くし、トライし尽くしてすべて終わりました」と笑顔だった。

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