苦節7年目、ようやく手にしたウイニングボールの行方は、どこですか? 日本ハム田中正義投手(28)が、楽天戦でうれしいプロ初勝利を挙げた。同点で迎えた9回にマウンドへ上がり、3者連続三振の快投。その裏のサヨナラ勝ちにつなげた。歓喜の混乱の中、大切な記念球の行方は-。チームは新庄政権2年目で、初の3カード連続勝ち越し。1日で再び単独5位に浮上した。

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劇的勝利後のヒーローインタビューは、感動的だった。4番手で救援しプロ初勝利を手にした田中正は「時間はかかってしまいましたが、こういう景色が見られてすごくうれしいです」。先月26日の涙のプロ初セーブから一転、この日は笑顔…も、記念球が手元にない。「どこにあるか分からないので、見つけた方は田中までお願いします」。前代未聞の“公開捜査?”でスタンドを沸かせた。

中越えのサヨナラ打で、ボールは外野フェンス際へ転々…。勝利球が届くまで、タイムラグが発生したもようだ。昨季までは必死になって選手の記念球を回収し、手渡していた新庄監督も「今日はちょっとうれしくて、それどころじゃなかった」と興奮のあまり、うっかり失念。ヒーローインタビュー後には、しっかり本人の元に届き「両親に渡したい」とひと安心?だ。

圧倒的な13球だった。同点の9回にマウンドへ上がると、150キロ台の直球と鋭く落ちるフォークボールで3者連続三振。複数球団競合の末、ソフトバンクにドラフト1位で入団してから、右肩や右肘の故障にも苦しんだ。苦節7年目。いばらの道を歩んできたからこそ「100点はない。毎日自分の限界に挑戦していくしかない」と、強い心を手に入れた。

「全員がつないできた後半のイニングには(抑える)責任がある」。7試合連続無失点のクローザーが、劇的勝利を呼び、黄金週間は6勝2敗。新庄監督は「2勝1敗ずつで行って、少しずつ上を目指していくっていう戦い方が出来ている」と、さらなる上昇を見据えた。【中島宙恵】

◆田中正義(たなか・せいぎ)1994年(平6)7月19日、横浜市生まれ。創価で1年秋に外野手に転向し、創価大で投手に再転向。3年時に大学日本代表。ユニバーシアード大会で初の金メダルに貢献。16年ドラフトで5球団の1位指名を受け、ソフトバンク入団。2年目の18年4月1日オリックス戦でプロ初登板。昨オフにソフトバンクにFA移籍した近藤の人的補償として日本ハムに移籍した。今季は4月26日のオリックス戦でプロ初セーブを挙げた。プロ通算48試合で1勝2敗4セーブ、防御率3・67。今季推定年俸1200万円。188センチ、93キロ。右投げ右打ち。

▼田中正が7年目でプロ初勝利。ドラフト制後、初勝利に最も年数がかかったのは97年西(横浜)の13年目がいるが、西はドラフト外で入団。1位や自由獲得枠など最上位指名で7年以上要したのは、15年の木村(ロッテ)と巽(ソフトバンク)以来8人目。

▼田中正はFA移籍した近藤の人的補償で日本ハムに移籍。人的補償で移籍後にプロ初勝利を挙げたのは、96年川辺(巨人→日本ハム)14年一岡(巨人→広島)17年平良(巨人→DeNA)20年小野(楽天→ロッテ)に次いで5人目。

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