西鉄ライオンズの黄金期を支えた中西太氏(日刊スポーツ評論家)が、11日午前3時38分、東京都内の自宅で心不全のため死去していたことが18日、分かった。

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吉田義男氏 ふとっさんは野球界の巨匠でした。1933年、昭和8年生まれの同い年。出会いは山城高校が高松に遠征し、高松一高と試合をしたときです。京都から平安高校と一緒に出掛けたのですが、球場が超満員になったのは意外でした。「高松にそんなすごい選手がいるのか」と驚いたものです。

高校野球ファンのお目当てが、サードを守った中西太だったわけです。機敏で、小回りが利き、強肩でした。太ってはいませんでしたわ。ピッチャーは水野、二塁手は松岡でした。まさに「怪童」と言われるにふさわしい選手でした。

西鉄ライオンズでも、ショートライナーかと思ったら伸びて本塁打になった逸話は有名です。ふとっさんの三塁からの送球はホップするから、一塁手がミットの土手に当てて捕れなかったのも知ってます。ずばぬけた才能の持ち主で、我々の時代を生きた誇りでした。

西鉄時代はプレーイングマネジャーが流行していましたが、選手1本でやっていれば、もっと活躍できたはずです。指導者としても、ヤマさん(山内一弘氏)と双璧で名コーチでした。寂しいというか、ふとっさんとの思い出は語り尽くせません。