「あのとき以来か…」。テレビに映し出された米大オールスターには隔世の感があった。テキサス州アーリントンにあるレンジャースの本拠地球場で球宴が開催されるのは、“あの時”以来、実に29年ぶりだったからだ。

1995年(平7)7月11日、日本人で初めてオールスター出場を果たしたばかりか、先発したのがドジャース野茂英雄だった。スポーツメディアにとって「国際化」など縁遠く、メジャーリーグのシーズン取材など考えられない時代だから、現場にいるのは夢心地だった。

日本は景気停滞が続く上に、阪神淡路大震災が見舞われ、地下鉄サリン事件のテロが起きるなど、すさんだ社会情勢だった。米大リーグも長期ストで開幕延期。“国賊”“裏切り者”とまで心ない批判を浴びて海を渡った男は、手の平を返されて“戦後の大ヒーロー”に奉られる。

米大球宴が「ミッドサマークラシック」と称されることも、そのとき初めて知った。前夜祭は全米で有名な「シックスフラッグス遊園地」が貸し切られスケールの大きさに圧倒された。気温46度度。ネクタイ着用で正装していくと笑われた。

ちなみに米大エースのランディ・ジョンソンは白のポロシャツでファミリーで楽しんでいた。吹き出す汗で取材ははかどらず、ボビー・バレンタインが経営しているバー「スポーツギャラリー・カフェ」に行ってビールをがぶ飲みした。

レストランの入口では足を止められた。「チャイルド(子供)?」。パスポートを見せながら、心の中で「日本人をなめるな!」と叫んだものだ。携帯も、パソコンもない。何もかもが初体験で不便だったが、とにかく当時は必死で全米を駆け回った。

日本人初の出来事が、いかに衝撃的だったか。首相の村山富市、大阪府知事・横山ノックらがコメントし、新宿アルタ前は2000人の人だかり、全国13都市31会場で23万2000人が街頭中継を見守るなど、まさに国民的イベントだった。

そして「ザ・ボールパーク・イン・アーリントン(当時)」で始球式に登場したのは、歴代1位の5714奪三振を記録したノーラン・ライアンだ。野茂が心からリスペクトした地元のヒーローが盛り上げた。

もともとナ・リーグ先発は“精密機械”と称され、3年連続サイ・ヤング賞男のマダックス(ブレーブス)だったが、突然の故障で回避。大役が野茂に回ってくる強運で、新人の先発は伝説の名投手バレンズエラ以来の快挙になった。

翌朝の地元ダラス・モーニング紙は、野茂が2回を1安打3奪三振の快投を演じたことを報じた。もはや日本人が米大オールスターに出場することは珍しいことではないが、一人のサムライが道を切り開いた伝説が今につながっている。

ストの影響もあって米大リーグの観客動員は減少していたが、ここからメジャー人気は回復していく。オールスターでもっとも印象に残ったこと? それは、あの野茂が笑ったことだった。子供のようにはしゃいでいるように見えた。

あれから時が巡って、再びテキサスに「ミッドサマークラシック」が戻ってきた。日本人プレーヤーのホームランは誇らしかった。素晴らしい熱投だった。真夏の夜の夢。それはまた先人への敬意を思い起こさせる、大事な一夜でもあった。(敬称略)