【ロサンゼルス(米カリフォルニア州)28日(日本時間29日)】ロッテやヤンキースなどで投手として活躍し、日米通算106勝を挙げた伊良部秀輝氏が、米ロサンゼルス郊外の自宅で死去していたことが、分かった。42歳だった。ロサンゼルス郡保安官事務所当局者が明かしたもので、死因は首つり自殺とみられる。伊良部氏は、約1カ月前に夫人と離婚したとみられ、その後は1人暮らし。連絡が取れずに心配した知人が自宅を訪れた際、遺体を発見し、警察に通報した。華々しい野球人生を送りながら、寂しい最期となった。

 伊良部氏突然の訃報に、阪神監督時代の03年に日本復帰を実現させた楽天星野仙一監督(64)もショックを隠せなかった。

 いつも元気な星野監督が沈んでいた。千葉へと向かう朝の福岡空港。「今朝の報道で知った。アイツらで勝ったからな」と目を細め言った。阪神監督時代の03年。伊良部氏をローテの軸に据えた。「かわすのではなく攻める姿勢」が好きだった。13勝と結果を出し、18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献してくれた。

 直接会って話すことは最近なかったという。ただ、監督には忘れられない思い出がある。ちょうど1年前の今ごろ、深夜に電話が鳴った。声の主は伊良部氏だった。「あまりに遅い時間でな。『どないしたんや!』って怒ったのよ」。だが受話器から聞こえてきた声は震えていた。

 星野監督

 泣いていたんだ。どうしても野球を諦めきれない。野球を続けたいと頼み込んできた。テストを受けさせてほしいとも言っていた。ファームの指導者をやりたい、ともな。そうか分かった、とは軽く言えないし。30分くらいかな。話を聞いて終わった。

 翌朝着信履歴を見ると、伊良部氏からさらに2度、電話が入っていた。

 投手という職業に対して真摯(しんし)だった。「練習はよくやった。メカニックや配球の話となるとグッと入り込んできて。自分からずっと話していた。『オレにはもういいから、選手に教えてやれよ』ってね。指導者として、自分の財産を後輩に返したい気持ちも持っていたと思う」。監督からすれば、純な野球好きの青年だった。

 思い出を問う報道陣の輪を見渡し言った。「ピッチャーはな、オレもそうだったが、虚勢を張るものなんだ。本当は繊細で弱い。豪快なイメージは、みんなが作ってしまったのではないか」。ともに戦った1年間、伊良部氏の周辺では何の問題も起こっていない。03年の伊良部氏は星野監督との良縁に発奮し、野球人として輝きを放っていた。【宮下敬至】