<セCSファーストステージ:ヤクルト3-1巨人>第3戦◇10月31日◇神宮

 でかした、大仕事だ。ヤクルトが巨人とのクライマックスシリーズ(CS)第3戦を制して、2勝1敗。2日からナゴヤドームで始まる中日とのファイナルステージ進出を決めた。「ジャイアン」こと赤川克紀投手(21)が先発して7回途中まで無失点と好投。強気に内角をグイグイ突いた。勝つか、負けるかの大一番で、怖いモノ知らずの「鈍感力」をいかんなく発揮した。

 超満員の神宮に「小川コール」が響く歓喜の時を見つめながら、赤川は笑っていた。右翼スタンドに向かって手を掲げ、ハイタッチを交わす。負ければシーズンが終わる大一番。「別にシーズンと変わらないので、そんなに緊張はなかったです。自分ができることをやろうと思いました」。7回途中まで無失点の好投。たくましい「ジャイアン」が、またしてもチームを救う勝利を挙げた。

 序盤はストライクを先行させて、リズムを生んだ。打者一巡するまで、初球ボールは2人だけ。右打者の内角を突き、ツーシームで芯を外す。1回2死からは巨人長野を外角高めに外れる138キロで空振り三振に切った。5回に1死一、三塁のピンチを招くと、珍しく「足の震えが止まらなかった」と言った。逃げずに、1番坂本を二飛、寺内は外角低めへの143キロで空振り三振に打ち取った。

 今季のヤクルトを象徴するサクセスボーイだ。1年前の今ごろ。プロ未勝利だった左腕は、宮崎フェニックスリーグに参加していた。今季6勝を挙げてつかんだ人生初の巨人戦先発。つぶれそうな重圧だが、3年目左腕を支える「鈍感力」で、平常心を保っている。

 巨人キャンプのご当地、宮崎市出身。小学生時代には、キャンプ地の隣のソフトボール場で野球の試合をしていた。その時すれ違ったのが、当時監督だった長嶋終身名誉監督。「自転車に乗ってたんですよね」。熱烈な巨人ファンになったかと思えば「ソフトバンクの方が好きっす」。当時宮崎は民放チャンネルが2つだけ。巨人戦が映ると、違う番組の方が見たかったという。球界の盟主相手でも、気負う必要はなかった。

 ブルペンには村中、館山が控えていた。「自分が打たれても、抑えてくれる。後先を考えずにいきました」。8回からは村中が登板。9回は2死から村中が走者を出せば、館山がマウンドに立つ予定だった。スクランブル態勢で臨んだ小川監督は「巨人に3つのうち2勝しなければいけなかった。(赤川は)この重圧の中で、らしさを出してくれた」とたたえた。

 これで再び中日に挑戦するチャンスをつかんだ。レギュラーシーズンは10月の4連戦で4連敗し、優勝を逃した。赤川は言う。「リベンジというより、先制されないように頑張るだけです」。今季ローテーション入りした頃から、バッグには地元宮崎でパワースポットとして知られる「みそぎ御殿」でもらった塩を入れている。宮崎商で甲子園出場した時に持っていたものを、実家の母に送ってもらった。実力に不思議な力も加わり、「ジャイアン」はますますたくましくなった。【前田祐輔】

 ▼21歳3カ月の赤川が6回2/3を無失点に抑え勝利投手となった。プレーオフ、CSの最年少勝利は82年工藤(西武)の19歳5カ月。21歳以下の勝利投手は79年山口(近鉄)82年工藤、06、07年ダルビッシュ(日本ハム)09年田中(楽天)といるが、すべてパ・リーグ。セ・リーグのCSでは赤川が最年少勝利となった。この日は得点圏に走者を背負って7人の打者と対戦し、許した安打はゴンザレスの1本だけ。今季公式戦の赤川は得点圏での被打率が63打数11安打の1割7分5厘。ピンチに強い赤川が、CSでも粘り強い投球を見せた。