12月16日、メルパルクホール大阪で10カウントのゴングが鳴り響いた。リングの中央に立った主役は西島洋介、48歳。元東洋太平洋クルーザー級王者で、日本人ヘビー級選手としても道筋を開こうとしてきた。
2度目の10カウント。「1度引退し、いろんな経験をしてリングに帰ってきましたが、但馬選手のすごいパワー感じました」とスパーリング形式のエキシビションマッチで対戦した但馬ミツロ(27=3150ファイトクラブ)をたたえた。
西島が13年ぶりとなる日本人ヘビー級選手としてデビューしたのはもう30年近く前、92年3月の東京・後楽園ホールだった。世界的にマイク・タイソンを中心にボクシング界はヘビー級が頂点として盛り上がっていた時代。そこにリングネーム「西島洋介山」が登場した。当時、まだ18歳。米国の33歳、スミスに3回KO勝ちと、期待にこたえた。
当時所属していたオサムジムの渡辺治虫会長がたくみに売り込んだ。「宇宙パンチ」や「手裏剣パンチ」のネーミングが新聞の見出しに踊る。対照的に西島は寡黙だった。京都・鞍馬寺でのトレーニングを取材に行ったことがある。その時の印象として、西島はマスコミから距離を置きたがる様子だった。知名度を上げて売り出したい会長、一方で純粋に選手として認められたい西島。そんな思惑が交差していたように思う。
西島は世界を極めることはできなかった。本人も語っていたが、「やはり基本の体格、パワーの差。自分は通常で85キロほど。作って(体重を)上げた体とはやはり違う」。日本では対戦相手がおらず、米国を主戦場にしたが、やはり苦しんだ。厳しい体重制のボクシングで、ヘビー級は唯一上限がない階級。その壁は経験した者だから言える分厚さだった。
日本人選手でその壁を打ち破れる者が現れるのだろうか。3150ファイトクラブの亀田興毅会長(35)は但馬に大きな期待を寄せる。「日本で(ヘビー級の)練習環境はないから、来年はコロナが落ち着けばロシアに行かせるつもり」と養成プランを明かす。
かつては夢でしかなかった日本人の世界王者。挑戦することが現実になるだけでもすごいことだと思う。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)




