元横綱稀勢の里の荒磯親方(33=田子ノ浦)が、9月29日に東京・両国国技館で断髪式を行った。東幕下筆頭だった17歳の04年3月春場所4日目、初の十両土俵に際し、初めて結った大銀杏(おおいちょう)。その時も、約15年半後の断髪式も、結ったのは入門当時の鳴戸部屋時代から同部屋の兄弟子、床鳴(44)だった。

2人は断髪式当日、開場2時間前の午前9時ごろに対面。荒磯親方からの「お世話になりました」というあいさつで始まった。互いにこみ上げる思いを封印し、そこから最後の大銀杏(おおいちょう)を結い始めた。

最後の大銀杏を結い終えて間もなく、床鳴は「さびしさとホッとした気持ちの両方。どちらが大きいのか分かりません」と、今にも泣きそうな目でほほ笑んだ。大銀杏は基本的には関取衆が結うが、それ以前の02年春場所の初土俵のころから17年半。ざんばらのころから、髪を整えてきた。触れ続けてきたからこそ「髪にもコンディションがあるので」と、断髪式当日が、決してベストな髪質ではなかったことをほのめかしながらも「納得の仕上がりです」と、まとめ上げた。

床鳴は最後の大銀杏を結う前夜、寝付けなかったという。午後11時ごろにふとんに入っても眠れず、酒を飲んで無理やり眠りについた。それでも午前5時には目が覚め、気持ちを落ち着かせようと、早朝から身支度を整えたり、部屋を掃除したり。普段通りの行動を心がけたが、時間を持て余した。「先代(元鳴戸親方=元横綱隆の里)からの教えもあって、身だしなみには厳しい方でしたから」と、最高の大銀杏に仕上げるために、はやる気持ちを抑えた。断髪式後の整髪は、静岡県三島市の美容師・小針圭一氏(52)にバトンを託した。「向こうもプロですから、特にこちらが口出しやアドバイスすることなんてありません。大銀杏を結った段階で踏ん切りはつけていますから」。

断髪式後の荒磯親方は、まげについて「力士の象徴。今日で力士卒業です」と、さみしそうに話した。床鳴も「昔は髪の量が今の2倍ほどあった。激しい稽古ですり切れて、量も少なくなって、髪質も細くなった」と、さみしそうだった。

荒磯親方にとって床鳴は、入門してからほとんど毎日、接してきた兄弟子だ。初めて勝った日も負けた日も、関取に昇進した時も、初優勝の時も、引退を決めた最後の一番も-。あらゆる時に、しかも感情が高ぶる取組の前後で接してきた。最後の大銀杏を結う前、荒磯親方から「お世話になりました」とあいさつされた床鳴が返した。「勉強させていただきました」。

口数が多いとはいえない2人だが、口に出さなくても分かり合えている信頼関係がある。家族のような絆を感じられる瞬間も、大相撲の魅力だと再認識した1日だった。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

18年9月、稀勢の里(手前)と床鳴
18年9月、稀勢の里(手前)と床鳴