「屁も出せませんでしたよ…」

大相撲史上初めて無観客で開催した春場所。静まり返った大阪市のエディオンアリーナ大阪で3月8日、初日の取組を終えたある力士が、従来との違いを意外な言葉で表現した。

全力士が腹の調子まで万全ではない。仕切りの際に腹に力を入れた瞬間、コントの一幕のように「プ~」という音が漏れたら…。そんなことが脳裏をよぎるだけで、それまでとは違った。

従来なら観衆の歓声で気にも止めない、わずかな音を気にした関係者は少なくなかった。歴史的な初日の最初の一番となった序ノ口の煌(きらめき)-艶郷(つやさと)。2階の記者席から見た報道陣が、取材エリア(ミックスゾーン)へ移動するため、折りたたみ式のイスから立ち上がると、次々と「バタン」という音が響いた。土俵下にいた審判部の親方衆からの要望で、すぐに相撲協会広報部を通じて「イスの音がしないよう、静かに立ってください」と注文がついた。

普段なら「よいしょ!」と、観衆の掛け声が飛び交う横綱土俵入りの際の四股も「ドスッ」という、土俵を踏みしめる音が際立った。横綱鶴竜は「いつもならここで拍手がくる、というところでも静か。『(所作を)間違ったかな』と不安になった」と、取組以上に土俵入りが印象的だったと、苦笑いで振り返った。

防音のため通路での四股などの準備運動も禁止された。通路での準備運動がルーティンだった前頭錦木は「みんな支度部屋で準備運動するので狭かった」と明かした。また、前頭隠岐の海は、静寂に加えて新型コロナウイルスの感染を疑われかねないと「せきもできなかった」と、土俵下での振る舞いにも気をつけた。

ただ、新たな環境を楽しむような力士もいた。ベテランの前頭松鳳山は、普段は支度部屋での取材をミックスゾーンで受けることになり「有名人になった気がする」と笑顔。続けてサッカー元日本代表本田圭佑をイメージして「36歳、伸びしろしかないですね」と話し、報道陣の爆笑に気を良くしていた。その後は「負けても呼んでください」と自主的に立ち止まった。

NHKなどの放送席は、防音対策としてアクリル板で覆われた。ある関係者は「立ち合いの前に解説者が『変化があるかもしれません』と言った声が土俵まで聞こえ、本当に力士がそう考えていたら取組にも影響するから」と、笑い話を交えて明かした。

無音と向き合った力士は一様に観客、ファンへの感謝を再認識したと語った。試行錯誤を続けながらも15日間を完走し、相撲界だけでなく、良い前例としてスポーツ界の財産となった。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲春場所 初日 無観客の中、幕内の土俵入り(2020年3月8日撮影)
大相撲春場所 初日 無観客の中、幕内の土俵入り(2020年3月8日撮影)