一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元世界2階級王者の井岡弘樹氏(51=井岡弘樹ジム会長)の人生を変えたのが「浪速のロッキー」の左フック。現在はタレントで活躍する赤井英和が、1回KOでデビュー以来8連続KO勝利を飾った一撃をあげた。この試合で赤井にあこがれ、所属するグリーンツダジムに入門。世界王者への道を歩みだしたという。(取材・構成=実藤健一)

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▼試合VTR 81年12月18日、デビューから7戦連続KO勝ちで「浪速のロッキー」と呼ばれ、人気の赤井はノンタイトル10回戦ながらテレビ中継された。相手はアウトボクサーの桑田修孝。距離をとりたい相手にさせず、立ち上がりから前に出てラッシュ。1回1分25秒に打ち下ろす右フックで最初のダウンを奪い、立ち上がったところに連打で2度目のダウン。最後は強烈な左フックで試合を終わらせ、デビューから8連続KO勝ちとした。

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自分がボクシングをやろうと決めたきっかけが、赤井先輩の左フック。中1の冬やった。テレビで見ていて、最後はものすごい左フックでKOした。いっぺんにあこがれましたね。

スポーツ全般、好きやった。もちろん、格闘技もボクシングに限らず。そんな中で、あの試合が自分の運命を決めた。中2から赤井先輩と同じジムに入った。日本王者じゃなく、世界王者になろうと決めた。

赤井先輩は派手な言動が注目されがちやけど、ものすごい練習する。キャンプも一緒させてもらったけど、すごい練習量でした。自分にも世界の目標があるから、絶対に音を上げない。でも実際は、頭が下がる思いでした。

赤井先輩は大けが(85年2月の試合で意識不明に陥り開頭手術、その後に引退)で世界王者の夢を果たせなかった。自分も病院に行かせてもらったけど、ものすごいショックでした。先輩の分も夢をかなえたい。その思いは当然あった。

結果的に世界王者になれたのは、練習のおかげ。きつい練習も「頑張ろう」と踏ん張れたのは、赤井先輩のおかげやと思ってます。

◆井岡弘樹(いおか・ひろき)1969年(昭44)1月8日、大阪・堺市生まれ。もともとは野球少年だったが、赤井にあこがれて中学2年の時にグリーンツダジムに入門。86年1月プロデビュー。87年10月、日本選手最年少の18歳9カ月でWBC世界ミニマム級王座を獲得。91年12月にWBA世界ライトフライ級王座を獲得し2階級制覇。その後、3階級制覇を狙ったがならず、98年12月にノンタイトル戦でのちのWBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守に敗れ、引退した。戦績は33勝(17KO)8敗1分け。現在は井岡弘樹ジム会長。

◆オンライン教室 井岡弘樹会長は外出自粛で自宅にこもる人たちへ、オンラインを利用してボクシングを絡めたエクササイズ教室を開設中。ボクシングとダイエットを融合して「ボクシエット」と命名し、午後8時からライブ配信。「井岡弘樹のボクシエット」で検索。

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