ボクシングで元世界3階級制覇王者の八重樫東(37=大橋)が1日、現役引退を表明した。オンラインの会見では、15年間の現役生活について語ると同時に今後の活動などについても言及した。また、歴代担当記者が、八重樫との思い出を振り返った。

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頑固な人情派。そんな人だと思っている。16年5月のIBFライトフライ級王座のV1戦の2週間前の夜に突然、電話がかかってきた。「明日、時間ありますか? ついてきてほしいところがあって…」。翌日、指定された横浜の中華街に行くと、「引退です」と告げられた。もちろんジョークだったが、左肩甲下筋損傷と左肩関節唇損傷。医師から手術を勧められるほどの大けがを明かされた。

左腕は痛みで横にも動かせず、打てるパンチはジャブのみ。それでも、八重樫は「試合は出ます。それは決めました」ときっぱりと言った。理由は、陰で「ボス」と呼ぶ、大橋会長への思いだった。14年に世界戦で連敗。引退報道も出る中「お前はジムの功労者だ」と再挑戦への交渉に奔走してくれた姿を見ていた。だからこそ「このタイトルだけは特別。興行に穴はあけられない」と腹を決めた。

そんなやりとりを中華街の真ん中でしていると、携帯の画面にうつる、治療院の広告らしき文言を見せられた。「『神の手』でどんな痛みも治してみせます」-。怪しみながらも、八重樫のわらにもすがる思いを感じ、店舗探しを手伝った。だが、“ゴッドハンド”はすでに帰国していた。それでも、3日後には「ハリウッドスターの腰痛を、さするだけで治す人を見つけました」と連絡がきた。

「しがみつく人間にしかチャンスはこない」。左肩をなでながら、自分に言い聞かせるように何度もつぶやいていた。結局、痛みを隠してリングに立った。格下相手に2-1の僅差判定勝ち。試合後の会見でもけがのことは言わなかった。人がいなくなり、記者を見つけると、にやりと笑った。「ひどい内容でも、ベルトが残れば僕の勝ちです」。忘れられない思い出だ。

キャリア終盤、“エゴサーチ”をして、「八重樫はパンチドランカー」「壊れている」というコメントを見つけ、「ぼくのこと、ドランカーだと思ったことありますか?」と興奮気味に聞かれたことがあった。優しい笑顔の裏の反骨心が、「激闘王」の支えだった。好きな言葉は、努力、辛抱、覚悟。飾らない生きざまが、八重樫の魅力だと思う。【奥山将志】

◆八重樫東(やえがし・あきら)1983年(昭58)2月25日、岩手・北上市生まれ。黒沢尻工3年でインターハイ、拓大2年で国体優勝。05年3月プロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。7戦目で07年にWBC世界同級王座挑戦も失敗。11年にWBA同級王座を獲得し、13年にWBCフライ級王座を獲得して3度防衛。15年にIBFライトフライ級王座を獲得し、日本から4人目の世界3階級制覇を達成した。2度防衛。160センチの右ボクサーファイター。通算28勝(16KO)7敗。家族は彩夫人と1男2女。