元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが死去したことが1日、分かった。79歳だった。力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日本プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日本プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。89年には参議選で初当選した。近年は腰の手術に加えて心臓の難病「全身性アミロイドーシス」も患い、入退院を繰り返していた。

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◆アントニオ猪木さんの名言

▼「悩みながらたどり着いた結論は、やはりトレーニングしかない」

※76年アリとの異種格闘技戦後に。アリ側とのルール交渉ですべてのプロレス技を禁じられて。15回をほとんどリングに入り着け座位のままの戦いを余儀なくされて。

▼「人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。この道をいけばどうなるものか。危ぶむなかれ。歩まずば、道は無し。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わずいけよ。いけばわかるさ」

※98年4月4日の引退試合で

▼「元気ですか~! 元気が1番。元気あれば何でもできる」

※89年、参院選に出馬して街頭演説の第一声。

▼「馬鹿になれ

とことん馬鹿になれ

恥をかけ

とことん恥をかけ

かいてかいて恥かいて裸になったら見えてくる

本当の自分が見えてくる

本当の自分も笑ってた

それくらい馬鹿になれ」

※00年4月、引退をかけて臨んだ小川戦に敗れた橋本真也に送った詩

▼「常識外れって言われるけど、常識外れの方が正しいこといっぱいあるじゃない? 戦いはセックスと同じ。肌を合わせてみないとわからないだろ? どっちが先に『イッちゃう』かとかね(笑い)。オレと戦った選手から『猪木と試合をして、生まれてきてよかったと感じた』とよく言われる」

※02年4月28日付本紙「日曜日のヒーロー」で

▼「人生、一寸先はハプニング」

※09年9月。自身が主演した映画「ACACIA」が東京国際映画祭に出典された記者会見で。